詰んでるww|発達障害の家族と生きるは己を高める滝修業のごとし
70日目。
うわなにこれ。
今日は朝から手間かかるぞ。
おかん、だいぶ不安定。
やはり、彼女にとって、私と一緒にいることの心的負担はあまりに大きすぎるのだろう。見ていてかわいそうになる。おかしいのはおかん。わるいのはおかん。間違ってるのはおかん。それははっきりそう言い切れる。が、しかし、それは裏を返せば、逆からは常にこちらがそう見えてるわけだ。であれば相当なストレスだし、非常に苦しいはずだ。私がまさにそうだから、相手も同様にそうだろう。
ただ、私にはストレス耐性がある。それもかなり強いほうだと思う。おかんはどうだ?幼い頃から長年見てきた限り、まったくないに等しいと言える。嫌なことには絶対向き合わないし、何があっても目をそらし続けるタイプだ。自分にとって不都合な事実は、ただのひとつも受け入れない。そんなことをしたら、頭痛、発熱、嘔吐、動悸、過呼吸、あげく倒れて寝込むからだ。ある意味、正当な自己防衛本能が機能し過ぎるほど機能している人だ。
一人で暮らしていればそれでなんの問題もない。実際、おかんはずっと一人だった。一人ならおかしなことをしていてもなんの問題もない。観察者がいて、事象が観測されて、初めてそれは世の中に存在することになる。でなければ存在しないのと同じで、つまりはおかしなことも起きていないのと同じだ。
同居するならそうはいかない。否が応にも私や社員たちに観測されてしまう。すると、やめて、とか、そうじゃない、とかいうように否定されることになる。仮に、言うのをやめたところで、誰かが驚いたり、不快に感じたり、傷ついたりして、それを我慢することになる。結局、どちらを選択してもストレスだ。ということは、先に述べた理屈から、おかんもストレスだ。
そんな極めてストレス耐性が弱いおかんにとっては、そのストレスが致命傷になる。ストレスで不安定になったおかんは、おかしさをどんどん増していく。すると、周りの人間との間に起きる摩擦はますます大きくなり···あとはそれの繰り返しだし、ただ繰り返すどころかストレスもそれによる摩擦も次第に大きく膨れ上がり、大惨事に至るという定番のストーリーだ。
その単純なストーリーがいつも、常に、正確に繰り返される。意思が働いて、行動が変容するというように、パラメーターが変われば別のストーリーにもなるのだろうが、おかんの場合それがない。本能と思い込みに意思のチカラが勝ることがない、ゆえに行動の変容は起きない、ゆえにストーリーは変わらない。こちらが変わるしかない。いろいろと試してパラメーターを変える他ないのだけれど、今のところ、残念ながら、効果が出た試しがない。有効な手だてが見つからない。もう43年もやってるけれど。
うむ。いかんいかん。
論理的に詰んでしまった。これはいかん。w
今日も一日、先が思いやられるぜ。
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