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王坂とパンが丘ニュータウン


ここ、「パンが丘ニュータウン」には、東京は人が多くて住みたくないけれどもプライドは西新宿のビルのように高い10戸の家が並んでいた。最初は「うさぎパンが丘」という名前だったが住民から「獣の名前が汚い」という意見があってうさぎが外された。建っている家のうち何かしらの子供がいる家が6戸、子供を作ろうとしている家が2戸で、子供が嫌いな家が1戸、王坂さんが住んでいる家が1戸あった。

ある日、共用のゴミステーションに死体が捨てられていた

高崎さん家の10歳の子どもがそれを発見した。その子どもはかくれんぼをしている時にゴミステーションに入ったところ逆さになった顔と目が合ってしまい、中で気絶していた。

皆が同じ形の屋根の家に住んでいる、全体的に小太りで仲のいいパンが丘の住民たちに、激震が走った。
その中でヒソヒソ声で犯人だと囁かれていたのが王坂さんという人だった。

王坂さんは旦那さんと子供に恵まれず、その反動で小人を集めはじめていた。王坂さんはパンが丘の土地の分譲の時の抽選で「1等賞」を引き当てたため、みんなが帰宅時に必ず目につくパンが丘の入り口に家を建てた。

好きな色を尋ねると「緑みがかった青」と答えた。

誰も履かないような黄土色のパンツが地面に落ちていて、パンが丘ニュータウンの電子伝言板で持ち主が尋ねられたところ、「お世話になっております。わたしです。」と王坂が返事をした。全員をccに入れて送ったので全員が把握した。

ある時は王坂さんが、夕方に「おなかが空いた、おなかが空いた」と言って回っているという噂が相次ぎ、子供のいる家庭は自分の子が食われると恐れて家のシャッターを固く閉め、シェルターに隔離した。


そういうことがあったので「きっと王坂さんだろう」ということになった。

警察が捜査のために各家を訪れた時にはみんなが口を揃えて「わかんないけど王坂さんな気がする」と答えた。その通り、死体をゴミステーションに入れたのは王坂だった。

なぜ王坂が死体をゴミステーションに入れたかというと、ある日仕事から帰ったら玄関マットの上に死体があったからである。
ここで大きな声を出したらパンが丘の皆さんに迷惑がかかるしバレると思い、静かにゴミステーションに引っ張っていったが途中でさっき飲んだ日本酒が効いてきて死体にゲロがかかったのでお手本のような証拠になった。

高崎さん家のガキが死体を発見してポリ公が来てから、王坂さんはすぐにホテルに住まいを移した。ホテルの支配人を「コンクリ詰めにすっぞ」と脅していた。

王坂が速やかな対応をとったので、警察が王坂家に突撃した時やパンが丘の住人がヒソヒソ声で噂話をした時にはすでに家はもぬけのからになっており、皮肉なことに色んな虫の子供が産まれていた。真夏だった。

王坂はホテルを転々としながら、あの時死体が玄関マットの上に転がっていたのにどうして玄関マットごとくるんで捨てなかったのかをずっと後悔していた。ソーセージロールみたいな。今でもパンが丘ニュータウンの自分の家に臭いとか下手したら怨念とかが付いた玄関マットが敷いてあると思うと一生行きたくなくなった。


間も無くして、死体はたぬきが人間に化けていたということが分かった。

浦野さんという子供のいない夫婦が久しぶりにたぬき汁が食べたくなり、調べてもこの辺には無いということでたぬきを山で捕まえてきた。ところが二人とも調理の仕方がわからず、「そうだ王坂さんなら子どもを食べていると聞いたことがある」ということで王坂さんの家にたぬきを持って行ったが留守で、ポストイットに「たぬき汁にして頂ければお金か受精卵差し上げます」と書いてたぬきに貼り付けて玄関に置いて帰ってきた。

王坂さんはポストイットをたぬきから剥がして受精卵のところを興味深く読んだが、王坂は毎回攫った子どもを刺身にして食っていたのでたぬきを食べやすい切り身にする方法が分からず、でもこのまま返したら怒られるかなと思い隠蔽作戦に出たのであった。怒られたくなかった。
王坂がたぬきをゴミステーションに捨てた翌朝、ずっと死んだフリをしていたたぬきが人間の気配を感じて咄嗟に人間に化け、その姿を高崎家の子どもが発見したという流れだった。
たぬきも自分でなんであの時人間に化けたのか後悔していた。司法解剖の時にたぬきに戻って逃げたからよかったが、人間に化けなかったらもっと早く家に帰れていた。あとババアのゲロも顔にかかった。自分はいつもこうだ


青空が広がっていた


結局高崎家の子どもだけショックを受けて入院することになった^_^


2週間後、たぬきと王坂はパンが丘ニュータウンの最寄りのバス停で待ち合わせをして、王坂が黄緑色のNewDaysで買った菓子を持って高崎家を訪れた。ドアが開いてケロッとした高崎家の子どもが出てきたので、たぬきは必死に愛らしい顔をし王坂は唾を口の中に溜めた。高崎家の子どもは「おれは今から日能研に行くからどけ」という旨の発言をして王坂たちを押し退けて出ていった。その後王坂とたぬきは二人で湯島天神に行って「高崎家のこどもが東大に受かりますように」とお祈りをして別れた。いい事をした。

王坂は晩年、
「誰もが育ちが悪いとは限らないが、誰が育ちが悪くなってもおかしくはない」という名言を残した。


(2018年・課題図書)

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