就活の記


野村が医学部に6年通っていたあいだ、大学を出ても一人でなにもできないという事で大学4年の時に就活をした。立派な人になるために


コ○ヨ
「りーちゃんといえばノートだね」と幼少期から刷り込み教育を受け、それが花開いて小学3年生〜高校1年生のノムラに会うまでコ○ヨで働きたいと思っていた。中学の修学旅行で東京に行った時も自己中を発揮してクラスの子を連れてコ○ヨの本社に行き、針を使わないホチキスの開発者に一丁前に話を聞いて名刺をもらった。すっかりかかってしまっていた。それから8年経っていざ就活の時期になり、エントリーシートを大学のパソコン室で書こうとしたらまあ膨大で、5時間くらいかけて苦し紛れに打ったが呆気なく書類で落ちた。その前に一回友達の知り合いでコ○ヨ勤務の男性数人と食事会に行ったことがあったが、何がとは言わねえがもっとあんなことやこんなことをしておくべきだったなその食事会でよ。


ディ○ニーリゾート
グループディスカッションをやった後に、一人ずつ教官のような人に呼び出されて「あなたは本当はどういう方ですか?」みたいなことを質問されて、その人にだけこっそり教えてあげようという気持ちにさせられて正直に「お笑いが好きで漫才やコントをやっており、ボケとツッコミどちらもできます❗️」と赤裸々に告白したら落っこちた。就活は赤裸々に告白した順に落とされていく。許せない。お前らは笑顔の張り付いたiPadを持ってる偽物の就活生に騙されているだけだ。本当に心の底から笑っている、笑わせているのはどっちだっつってんだ。なんで落とすんだよ。こっちは早慶上智の上智大学だぞ。イングリッシュもできるんだ。もういい。いつか私がミッキーマウスになってお前らを操る。私が何か言ったら手を叩いて笑え

某大きい劇場
最後の最後に受かった。二次試験を突破したという電話連絡が四ツ谷の土手を歩いている時に来て、「すみませんちょっと待ってください」と地面にリュックを置いて中身を一回ひっくり返してからペンとメモ帳を出し、最終試験の日時と持ち物をメモした記憶がある。ちなみに二次試験の日が7月末でとにかく猛暑で、試験場を出た後「なんで自分だけこんなに就職先が決まってねえんだ」と思い石垣がある道路を泣きながら歩いた。暑い空間で泣いたのは初めてだった。


番外編 女子アナ
大学4年の時にゼミの先生に「アナウンサー挑戦してみたら」とアナウンススクールの名刺を渡され、原宿のスカウトみたい!と本当に調子に乗って清楚な服を買って1回三万のレッスンを受けに行ったら、えこひいきなどは無く30人くらいの女子アナ卵(らん)達があえぐように講師の話を頷きながら聞いており、私も同じように内股ではなしを聞いていたが、最後にカメラの前で一人ずつ原稿読みをしていくやつで私がやったら顔が左右非対称なので悪霊が乗り移った人みたいになっていた。流石に真実を伝えられるとは思えないので諦めた。

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