王坂のチョコレート工場5



たまっっったま、町内の区画整理で応募者に抽選で土地を配ったところ、王坂のチョコレート工場のおよそ50cm隣に「敢えての!キモキモゴキブリチョコファクトリー」という今風のチョコレート工場が建った。

このゴキブリチョコの社長はとってもいい人で、早速王坂に挨拶に来た。
「こんにちは!今日からあなたの隣でチョコレート工場を始めました、ジフです!」

女だった。王坂はそろそろ子どもが欲しかったので舌打ちをした。王坂は紙が巻き付いたタオルを貰い、「向かいの家は爆弾を作っている」という悪口を焚き付けて挨拶を無難にこなした。

この頃、王坂は15年間試行錯誤してようやく完成しつつある「正1兆角形チョコ」というブランドチョコの発売準備をせっせとやっていた。チョコのカッティング機械を自分なりに頑張って作った。「エンターテイナーの裏側は隠すべし」というのを座右の銘にしていたが、みんなに褒めてもらいたいので王坂の半笑いの写真をパッケージの左側にあしらった。

「王坂さんの作った正1兆角形チョコめちゃくちゃすごいです!」

朝起きると隣に越してきたジフがFacebookで正1兆角形チョコを自分の自撮りと一緒に載せて勝手に褒めていた。王坂は褒められて嬉しくなり、同業の仲間ができた喜びもあって早速ジフのところに行き、コラボをしないかと持ちかけた。ジフは賛成してくれ、「王坂&ジフ ストマックエイクチョコ」という誰も求めていない普通に酸っぱくてマズいチョコを作ったら衛生局に見つかり王坂だけ逮捕された。

王坂が獄中にいるあいだも、正1兆角形チョコのほうは売れ行きが良かった。「おうさかさんいつもおいしいチョコをありがとう。はやくシャバにきてね」というあたたかい子供からのメッセージも来た。王坂の牢屋担当の刑務官も夜中にこっそり食べていたらしい。


ところが


王坂の正1兆角形チョコが発売された3ヶ月後、ジフの会社が「へんな立体チョコ」というのを作り出した。テレビ、インターネット、街の看板など至る所で広告が大々的に流れ、パッケージにはスワロフスキーがあしらわれていた。ワイドショーでは声のでかい人がジフのチョコを褒めちぎり、ジフはモテた。

まあ、「幾何学」っていうアイデアが被ることって、あるもんね


ジフの会社は広島の町工場の人にお願いして色んな立体の鋳型を作ってもらい、それを工芸品としても売り出してひたすらに儲けた。パッケージにもとにかくこだわり、前衛的なデザインでスーパーの陳列棚を「敢えて」はみ出して目立たせた。


だが、チョコの味が不味いので食べた子供は吐いた。そもそもジフはデザイナー志望でチョコを作りたいわけではなく、王坂の工場から出された生ゴミの中に埋もれていたチョコを再び加熱してうまいことやって販売していた。
一旦全国のスーパーにジフのチョコが流通して各地方の子供らがまんべんなく吐いたあと、ジフは突然従業員の男と結婚してチョコレート工場を破産させた。


一方王坂は、刑務所作業で材木の切り出しを極め亀の甲羅の凹凸まで細密に再現できるようになった。ジフのあっせえチョコが新聞の広告欄で宣伝されるたびに王坂は壁をこぶしで殴ったが、自らの所業で手に入れた技術と確かな味覚を信じ、必ずまた全国の子どもたちにおいしくてワクワクするようなチョコを届けるんだという思いになって、王坂の胸はふたたび希望に満ち溢れるようになった。



さあ、出所まであと60年(実はストマックエイクチョコを食べたニューヨークのばあさんが死んで殺人罪にもなってしまっていた)



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