海苔を燃やした

 海苔を燃やしたことがある。

 燃やす、というと大袈裟だが、火事にもボヤ騒ぎにもならず、もちろん意図的にという訳でもなく、ただ単に海苔に火が移った、というだけの話である。

 きっかけは、「海苔を炙ると香りが出ておいしい」ということをテレビかどっかで聞いたからだった。そして数年前だか結構昔、それを聞いて実際やってみたことがあったのだ。海苔一枚菜箸で挟んで、コンロの火に触れるか触れないかあたりでさ〜っとなびかせ、くるっとひっくり返えして裏面もさ〜っとやる。その時はそれなりにハラハラしたが、それでもガスコンロから上がる熱い空気に手が触れて、アッチッチということくらいで大したことは何も起こらなかった。ただ黒色からほんの少し鮮やかな緑に変化したことと、パリッと噛み切った瞬間その初めての海苔の湿気のなさにびっくりしただけである。何に海苔を使おうとしたかは忘れたし、そもそもなぜいきなりそんなことを思い出したのかもわからない。だが今回は、その時の密かな感動に味をしめて、数年ぶりに海苔の一枚でも丁寧に炙って料理にひと手間かけてやろうと思ったのである。

 さて湿らないようにという理由で冷凍庫にしまってある海苔を取り出して、久しぶりの海苔炙りである。

 時間だけは大いに余っていることもあって、ここ最近は料理にエネルギーを注いでいた。それも大概蒸すとかコトコト煮るとか素材の味を残すとか、「ありがと〜う…(微笑)」というようなほっくり温かい気持ちで、食材を両手に包み込むような気分でやるのである。かくしてその時、ビニール包装からズズズと引っ張り出した一枚の海苔に対してもわたしはそんな気分であった。「ありがと〜う…(微笑)」という気持ちである。それに料理に使う海苔一枚を、わざわざコンロの火で炙るなんて、なんと繊細で丁寧なひと手間か。わたしはあたたか〜い気持ちで、大事に大事にその一枚の海苔を炙りたかったのである。

 使う海苔はいつも我が家にある縦長の3切り。へろんと垂れないように半分あたりまで菜箸で挟んで、ガスコンロに火をつけた。

 ふぉーとかすかに音をたてる火に触れるか触れないかあたりまで、海苔を近づけかざしてみる。おお熱風が時折手に当たってアチッ…アチッ…、下手したら菜箸まで焦げそうだ。しかしそこまでその心配もないので、というか多少焦げても問題ないのでそのまま待つ。たしか昔やった時はこの黒い色が緑に変わってきて、なんだか見た目からしてパリッと硬くなってきておいしそうになっていたな…などと想起しつつ、静かに心を踊らせながら観察する。この時はまだあったか〜い気持ちであった。ここまでものの数秒間である。

 だがしかし、海苔はいつまで待っても緑色にならない。なぜ?ここまで熱いのだから海苔の水分が蒸発して、変化が起こったっておかしくない頃合いなのにである。

 わたしは熱くないところまで顔を近づけて、火に当たっているあたりをよく見てみた。すると、黒くなっている。黒くなっているというか、もともと焼き海苔は色が黒いが、それ以上に黒くなっている。黒い焼き海苔、以上に黒い。それはおかしい。あれ何でだろう、などと思っていたら、今度は海苔の端からかすかに煙が昇り始めた。

 やばい、焦げたと思った。当たり前である。火に近づけ過ぎたら焦げる。当たり前である。炙って香ばしくなるはずが焦げて灰になろうとしている海苔。まずその展開、そのショックは大きなものだったがそれはとりあえず置いておいて、この海苔を早く火から外さねばならない。そう思って箸を動かそうとした瞬間、火がついた。

 蝋燭の炎のような心安らぐような燃え方をする火である。そいつが海苔の端に、あたかもわたしがアナタを癒しますよというようにユラユラと己の体を揺らしながらついている。

 言うまでもないが家の中は、火、水、土を必要最低限まで使ったらあとは徹底的に排除する空間だ。必要以上のものは異物とされ、不快か必要ないかさもなければ危険物である。そんな空間で海苔の端という、いわば家では発生すべきでない場所で発生し、体をユラユラと揺らしているそいつは、言うまでもなく危険物だった。

 かくしてわたしは半分パニクった。大きさにしてみればほんのその蝋燭程度のものである。しかし、火が燃え移った!? そんな事態からして物騒で危険だ。このまま大きくなってもしかしてそこらへんにあるものに燃え移ったりしてさらにそれがどんどん広がって家の中火事…なんてことになったら!? そんなものはもう笑い事でない。一瞬にして妄想が膨らんだわたしはフウーッフウーッ、と渾身の力を込めて吹き消そうとしたが相手は意外なド根性でなかなか消えない。蝋燭の火のようだと舐めてかかった行為にそいつはびくとも反応せず、むしろ微々たる変化だが、吹けば吹くほど僅かながら勢力を増していくのである。半分パニクっていただけだったのが、さらにパニクって、パニクった。

 これはマズい、さすがにこれ以上になったら危険だと察知し、燃える海苔をシンクに移動させた。そして蛇口をひねり、重たい一直線の水を火に浴びせた。ド根性だったそいつはあっさりとその根性をなくし、シュゥという情けない音とともにわずかな水蒸気をあげてあっという間に消えたのである。

 記憶の中で反響するシュゥという音と立ち上る水蒸気と共に、突然取り返し戻ってきた静寂。その時わたしの心の中にあったのは、なんとか消したのがまるで燃え盛る炎であったかのような、パニックの残り香と安堵であった。はァ〜、消えた…。そう思ってふと手元に目をやると、そこには半分焦げた上に、びしょびしょに濡れて水滴を滴らせ、くたっと菜箸にひっかかっている海苔の姿であった。なんと悲しく心痛む姿。再度言うが、わたしはこの海苔を本来あたたか〜い気持ちで香ばしく炙りたかったのである。あたたか〜い気持ちで生まれる香ばしい海苔になっていたはずである。それが見事に火事の種火に乗っ取られ、焦げた上に無残な姿となってしまった。しかもこちらに残ったのは、穏やかな気持ちでもなんでもなく、危機一髪の荒んだ心となんとも悲しい気持ちと、海苔を半分無駄にした申し訳なさである。

 その後はといえば、焦げてびしょびしょになった半分をちぎり捨て、無事残った半分を再び菜箸で挟み、今度はさっきより少し火から遠いところで恐る恐る炙りながら、緑色になるのを待たずに火から離し、その少ーしだけ水分の飛んだ海苔をちぎって、悲しいやら惨めやらでもちょっぴりおいしくて嬉しいという、何とも言えない複雑な気持ちで食べた。

 それにしても、海苔の端で揺れていた炎の不気味さよ。わたしはお前に癒しなんか求めていないし、本来そこに発生するべきでない。それに恐ろしくかつ怒りも禁じえないのは、燃料としていたものが、わたしが大事に育てたかった大事な大事な海苔だったということである。

 しかし、そんなことがあってもわたしはまた炙った海苔が食べたい。海苔というか海苔に限らず他のものも炙って食べたいのである。梅干しなんか、炙って食べたら驚くほど体が温まるのだ。だから、火、というか炙り方に気をつけろよ、という話なんですよね。火に罪はないというか、燃え移った炎にも罪はないというか。そして菜箸も、あれ、木が材料だとやっぱり焦げて最近ちょっと煙上がるんですね。煙が上がったらまた海苔みたいに火が移っちゃう可能性もあるわけで。そう、だからやっぱり金属製のものを買ったほうがいいんじゃないかと。

 そんなわけで、とりあえず金属製の箸を買って、これからは炙り方に気をつけようと思います。

 

 こんなことに想像以上の文字数を費やしてしまった。

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