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結果が全ては本当なのか







生きるか死ぬかの一発勝負で毎度繰り広げられる闘い。そこで常に追い求められる結果。






例えば、プロスポーツチームの試合後の結果に対するサポーターの怒号やSNSへのコメント、シーズン終了時に戦力外通告を受けて新天地を求めて移籍やトライアウトに回るのか…






当然、勝負事においては勝者と敗者が決まる。(引き分けがある場合もあるが)

ビジネスに置き換えるなら収益になるのかタダ働きするのか。





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人は期待したパフォーマンスに共感して感動する。





そのコンテンツに対して頂上を目指すプロセスやストーリーに感動する人も居れば、シンプルに結果だけに興味があって一喜一憂する人も居る。当然それは最終的に受け取る側が判断する話なので、こちら側から訴えかけたり自作自演してアクションする立場でもない。






思うに世間のほとんどがフォーカスする点で言うと、事が完結した後の結果だけなのではないかと。まったくこれについて異論を唱える訳では無いが…




勝つために全力を尽くすのは当然だが、負けたからその過程が無駄になるかと言われると、そんなことはない。負けたり失敗したことで全てが全否定され、これまで積み上げてきた信頼までも失われたり、仲間、サポーターが離れていってしまうなんてことはあっていいのか?





そう考えると果たして"意味のある敗北"なんて存在するのか?ただ受け入れ難い刺激物であるがために、当事者側で勝手に自己定義しているだけじゃないのかと。






そうした分かりづらい真実は片隅に追いやられ、運良く勝っている人は成功者のように振る舞い、そうでない人は自分自身を否定する。僕たちの人生は “勝ち負け” というイベントによって、真っ二つに語られるような性質ものではないことには、何となく気づいているはずなのに。





スポーツでも、ビジネスでも、“勝ち”を求められるのはこの世の原理原則。しかし、トーナメントはその象徴だが、ほとんどの人は負けていく運命にある。それでも、それはあくまで 「そのゲームの」WinnerとLoserを決めるだけであって、自分自身の価値や、その価値が誰かに影響を与えるかどうかはまったく別のお話。






こんな負けた時のことばかり話すつもりはなく、それを正当化して逃げ道を作るつもりもないが。。






なんやかんやで勝てればokみたいな所があって内容は伴っていなくとも許容される文化はあると思う。"勝てば官軍負ければ賊軍" 。それはやはり勝利した時の方が敗北した時より得られる副産物が大きいからなのかもしれない。負けたら負けたでロッカールームで反省してさっさと帰って練習で修正して次の実戦の場で活かすという、"失敗の先に成功がある"みたいな感覚。






でも結果だけを追い求める関係性だときっとお互いに長続きはしないのではないだろうか。目の前の結果に対して、毎回手の平返しをするような繋がりって単発で終わる希薄なもので、長期的な関係性なんて描けるとは思えない。

自己評価=他者評価という図式は限りなく有り得ないことであり、ここには多大な影響を与えるメディアや周囲も関与しているのではないか。

だとすればなにか美化されて側面を理解されていないような印象も受ける。







やはり本業が1番であり、副業でどれだけ頑張っていてもただプラスα留まりな感じはしてくる。しかもそれが行き過ぎてしまうともはや趣味の領域に突入してしまうし。







時々、思うことはプレーヤー(プロor演者)としての自分という存在なのか、それとも本来の自分という人間を評価されているのかたまにわからなくなる。


※ちなみにこれは恋愛にも当てはまると思っていて、表と裏の顔のギャップに惹かれるとかって、意図せず作り出せる魅力なのか。。







ただ言ってもポジティブな結果は当然評価されやすく、新しい人脈に繋がったり次へのステップアップとなる傾向が強い。と考えればそこに最もの価値があり、やはり後先は考えずにただ盲目的に結果だけにコミットするべきなのか。






一方で歳を重ねるとともに、そういう本能的な"がむしゃらさ"が薄まってきているのかと言われれば必ずしもそうではないと思う。ただ知識と経験が増えたことによりスタイルが変わってきているのではないか。第一線で野心的に情熱を持って全力で最後まで取り組むという前提は決して錆び付いてはいけない。





スポーツの世界で生きていく僕は、これからも勝敗というモノサシを向けられ続ける。負けることもあるだろう。それでも、自分を認め、願わくは誰かに感動を届けられるような存在でありたい。






重要なのは結果に対してどう関わるのか、そこから何を創り出せるのかを考えること。日々、意味に向き合い続けること。それを放棄した瞬間に一気に成り下がってしまう。


そういう意味では結果は全てを覆すと言えるのかもしれない。







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