今回の白饅頭noteを読んだ感想

今回も重いテーマですね。読んでいて悲しい気持ちと「いや、白饅頭それは違うぞ」って気持ちと、「確かにそう思う」って気持ちと、やりきれない気持ちと、いろいろな感情が湧いてきました。


僕は精神障害者であり、植松被告からしたら死ぬべき存在であるかもしれません。ですが、僕自信も植松被告に共感する部分もあるのです。生きていても辛いことだらけだし、家族や社会に迷惑をかけてばかりで、なんら生産性がないどころか、不幸を撒き散らしていると常々感じているからです。自分も不幸で他人も不幸にするのであれば、死んでしまったほうがいいのではないか、そう考えてしまいます。ナイフでめった刺しにされて死ぬのはご免ですが、この世から消えてしまいたい、消えてしまうべきだ、そんな気持ちによって植松被告に対する共感が呼び起こされます。


一方で、「精神障害者にも幸せに暮らしてほしいが、まともに働いて税金を納めている人の生活を阻害してはいけない」などと言われたら悲しくなります。自分の居場所はどこにあるのか、僕のことは受け入れてくれないのか。悪意でないがゆえに自分の存在価値、正当性に対して自信が持てなくなります。「あなたにはきっとふさわしい場所がある」そんな言葉をどこに行ってもかけられていては、この世に居場所はないと感じるのは当然だと思います。だから死んでしまったほうがいい、居場所がないのであれば死ぬべきなのではないか、そう考えてしまいます。


さらに他方で、不寛容な社会に対して、「お前らの言っていることは植松被告と同じじゃないか」というような怒りの感情もいだきます。僕はそこそこ人権思想に染まっているので、優勢思想、ソーシャルダーウィニズムには強い反発を覚えるのです。俺たちの人権を軽んじるのか、尊厳を奪うな、と。

まとまりがないですが、以上がコラムを読んだ感想です。

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