あの家の桜
毎日通る駅までの道に、地元の人しか知らないような目立たない路地があり、その角に古い家があった。
家の人が花が好きなのか、いつ通っても家のまわりには何かしらの花が咲いていて、そこを通るときに眺めるのが私にとって密かな楽しみだった。
濃い青のあじさい、立派なシャクヤク、ハナニラや芝桜、その他の名前の知らないいろんな花。
中でも、春に咲く大きなしだれ桜は見事で、家の人がうれしそうにスマホで写真を撮っているのを見かけたこともある。
去年、そのしだれ桜が、花が咲く前に突然切られてしまった。
古くなって危険だったのかな、と私は思った。
仕方ないことだけど、寂しかった。
しばらくして、その家の人がそこを出ることがわかった。荷物をまとめたり処分したりして、片付けているのを見かけた。
もともと老夫婦が住んでいたのだが最近は奥さんが一人暮らしだったようで、子供と同居するのか、施設に入るのか… 詳しいことはわからない。
家からは人の気配がなくなった。
数ヶ月がたち、敷地にクレーンが入りその家の解体作業が始まった。
更地にすることが決まったので桜も切ったのだろう。
私は解体中はその路地を通るのを避け、遠巻きに家が少しずつなくなるのを見ていた。
家の人が去ってからも、家のまわりの花はまだ咲いていた。
今はおおかた、家はなくなり、おそらく花たちも刈られるだろう。
割と広い敷地が、これからどんな風に変わるのかは知らない。
一軒家かもしれないしアパートかもしれない。
運がよければ、土の中に残った根から、花が顔を出してくれるかもわからない。
町のあちこちで、古い家やアパートが解体され、そこに新しい家が建ち新しい住人が来て、風景は刻々と変わっていく。
前にどんな建物があったか、思い出せない場所もたくさんある。
この町のとある路地に、花好きな人が住んでいて、道ゆく人を楽しませてくれていたことを、私は忘れたくないと思った。
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