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不自由な感情と行動

どうしたら自由に生きることを自分に許せるんだろう。

優等生のフリをしないで、思った通りに動きたい。路線変更するのに後ろめたさを感じないようになりたい。ゼロから始めることを責めないでほしい。              今日はそんな事が浮かんできました。


振り返れば、これまでに学んだことを続けないとブレているような気がして、興味がなくなっても無理に興味を持とうとしていました。大学二年生の頃から「頭が働かなくなったけれど、「早く頭を使える人間に戻らなくちゃ」と焦ったり、「自分は遊び回るような馬鹿なことはしない、しっかりした大学生」であることに拘っていて、“頭が働かなくなったんなら休学して何もしない”とか“思い切って海外に行ってみる”とか、行動する勇気が持てなかった。

なんでできなかったかというと、一人暮らしで奨学金とバイト代は生活費に全て消えたこと(授業料は全額免除だったけれど苦しかった)、否定されることを恐れる小心者だったからです。“賢いと評価されないのは恥ずべきこと”という思い込みもありました。馬鹿にされないように正論を振りかざす癖がついていました。                                                               「家庭環境が悪くたって、塾にも通わず親に負担をかけないで猛勉強して、現役でそこそこの国公立大学に受かり、授業料も全免で通っている。大学でも勉学に励み、チャラチャラ遊ぶことのないいい子。将来も公務員を目指す、堅実な人間」。それが私が規定した私でした。正しく生きていることで認めてほしい…そんな執着は捨て、自分の意思で好きなように挑戦したり、遊んだり、大学生生活を謳歌するべきだったのに。

だけど、人のせいにしてるって思われるかもしれないけど(こういう予防線張るのもやめたい)、学力ブランド意識のある母の影響が大きかったです。

大学名だとか世間の評価の高い仕事であるとか、馬鹿なことはしない真面目さだとか、そういうものばかり求められてきました。姉や妹は母が真面目さを求めても結局、好きなように夜遊びしたり恋愛したり、自分の意思を通していたので、やっぱり私が「自由に自分の意思で決めていい」と思えていなかったのも大きいけれど。


うーん、頭の中に雰囲気はあるんだけどやっぱり考えとしてまとまらない。無駄に長い文章になってしまってすみません。

既に普通(新卒正社員)のレールからは外れているし、母が正社員正社員言わないようになれば、自分の気持ちを大事にできるようになる気がします。母は私の気持ちより定職に付くことを急かすので、自分から繰り返し配慮を求めないといけないんですよね。急かさないでほしい、静かに過ごさせてほしい、ゴールを正社員に決めないでほしい、自分の気持ちを大事にさせてほしい…。自分で説明するたび、「鬱」を働けない免罪符にしているようで、自己嫌悪します。自分の意思で決めた仕事で、早く主体的に生きたいと思っているのに…。

もうすぐ24にもなるのに、親の意向を気にする子供メンタルも治したいですが、許しがないと安心して自分の気持ちを持てないんだと分かってきました。

読書や国語が好きで文学部に進学→国会図書館職員や民間の古文書を扱う美術商を目指す→1年の休み→司書資格取得を目指すという流れを横に置いて、今の私が落ち着く時間を考えたら、農業です。


4月から、庭を耕して家庭菜園を始めたのですが、草木の生命力に触れている時間がほっとできるんです。野菜の育て方や植物の種類、それぞれの生態を勉強する時間はとても面白くて、もっと知りたくて、全く苦になりません。

家族は絶対、衝動的だと反対するけど、思い切って農業に没頭するのも良いのかな。………そう思ってもやっぱり飛び込めない自分がいる。

私はどうしたら自由に感情や考えを持ち、意思決定できるのだろう。

どなたか、考え方のアドバイスをくださいm(_ _)m


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