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朝6時まで眠れなかった。

10時半に起こされ、祖母に会いに行く。祖父が亡くなってから、伯父が祖母を自宅近くのアパートの一室に呼び寄せ住まわせている。誰かがそばにいてくれるのは良いことだが、田舎のすばらしい一軒家に誰も住まなくなったのは残念だった。祖母が亡くなったらどうなるのだろう。取り壊しだろうか。『娚の一生』のように買い取りたい気持ちはあるが、私には財力が無い。

祖母は駅の改札の前で立っていた。イメージよりもずっと小さく、皺も多い。大きくてまんまるな眼がガラス玉のように透き通って見えた。

祖母は相変わらず明るかった。

「何時に来るかわかんないけど、お昼頃って言ってたから、もうここ来ちゃって待ってようと思ったの!1時間くらい待っちゃったわ!」
「おじちゃんからお昼ご飯代もらってるから、今日はこれでばあちゃんがご馳走するわよ〜!」
「週に3回も、おじいさんおばあさんで集まるの!カラオケして、ごはん食べて、5時間くらい経ったらまたおじいさんとおばあさんが車に乗せられて、家まで送られるのよ。変よねえ!」

祖母は、基本的には他人を悪く言うことがない。どっちつかずな私の生き方に対しても「元気でいてくれればいいの」と言う。いろいろな物を、からからと笑って受け入れる。祖母は、今の自分の暮らしを満足だと言った。いろいろなものに感謝していた。90歳近いとは思えない溌剌さだった。とりとめない近況報告は、途中から、何度か聞いたことのある話になった。したことのない質問をした。知らなかった祖母の初恋と、当時の東京の話が聞けた。

LINOAS八尾で昼食をとった。元々は西武百貨店だった建物で、幼い頃によく連れられた場所だった。当時は1階に水時計があった。なにかしらの売り場に囲まれて、真ん中に広場があり、そこだけ急に床材が黒い大理石に変わった。同じ素材の立方体の椅子も並んでいた。宇宙のようだった。水時計はその真ん中で、不思議に光りながら動いていた。1分と1時間のそれぞれに対応したガラスのパーツと、それぞれの間を走るガラス管があった。水が少しずつたまって、1分があふれて次の1分が溜まり始めて、60分の水が満ちたら仕掛けが動いて次のパーツへ流れていく。水時計が好きだった。各パーツを流れる不規則な水の動きと、規則的に時間に対応する動きが美しかった。人目もあるし大丈夫だろうと、祖母と母は私を置いて買い物をするようになった。私もその方が楽しかった。1分。目盛りが10。20。60。繰り返し。

祖母が住んでいるアパートへ行って話した。祖母は「毎日お父さんの写真を見ながら『お父さん、行ってきます!』『お父さん、おやすみなさい!』って言うの。やいやい言ってこないからラクよ〜」と言った。冗談まじりでも、祖父の写真が飾られているところに情を感じた。妹が笑いながら「なんでこんな写真なん」と言って初めて、その写真が珍しいシチュエーションで撮られたものだと気付いた。膝あたりまである雪に埋まりながら、スーツで歩く祖父。片手にはカメラ。顔は笑顔と困り顔の中間くらいの表情だった。なんでここで写真を撮ったのか、なぜ祖母はこれを寝室に飾る1枚に選んだのかわからない。明確な理由は無いような気もした。

伯父夫妻が合流した。伯母はKinKi Kidsのライブに行ってきた話をした。病院の予約時間を守らない祖母を叱った。午後5時に予約をしても、「今日は病院の日だ!」と思うと午前中に行ってしまうらしかった。薬を度々飲み忘れる、同じ話を何度もする、長年祖母のことを気にかけてくれていたご近所さんのことを疎ましがる、などをひっくるめて、伯母は「お義母さんには努力が足りない」と言った。伯母の実母は祖母よりも年上で、ボケないために数独やパズル、クイズなどに日々取り組み、予定管理も完璧であるらしかった。「お義母さんは努力が足りひんのよ」「他人に迷惑ばっかかけて」と言った。

私は自分が時間管理や予定管理に難儀していること、この帰省でもたくさん忘れ物をしてきたことを話した。伯母は「え〜!?桃ちゃんもそっち側なん!?賢い大学出たんちゃうん!?」と言った。祖母のマイナスを目立たなくしようとした結果、自分もマイナスの判子を押されてしまった。それはそれで、祖母をフォローすることすら叶わなくなると思い、昨年ライブに出た話に切り替えた。伯父は音楽が大好きだし、ソウルやファンクも好きだから、ブルースのライブやその動画はきっと気にいると思った。伯父は案の定「えらい本格的やな」と前のめりになった。最近伯父がハマっているミュージシャンの話になり、みんなでその演奏を聞いた。親戚の集まりとしては妙な光景だったが、祖母が詰られているのを見るよりはよかった。自分が聞きたくない話のために話題を動かしただけで、祖母の普段の扱われ方をどうこうは出来なかった。

夜。

学生の頃から通っているお店で、吉永さん島さんウォーリーさん手汗さんあかむつさんとご飯を食べた。自分がずっと好きで通っていて、音楽仲間や大学の友達やバイト先の友達などたくさんのひとと来たお店に、大喜利のひとたち、それも特別に仲が良い(と私が思っている)ひとたちと行けたのが嬉しかった。大根の天ぷらはなくなっていたけど海老芋の天ぷらが美味しかった。とろとろのなす田楽も、すじ煮込みも、お刺身も角煮もつぶ貝も美味しかった。話の場を完全にあかむつさんに任せていた。あかむつさんはいろんなひとのことを細かく見ているので話題に事欠かなくてありがたい。島さんと隣同士だったのでたくさん話した。ウォーリーさんと共通の知人がいる話もした。2人に対し、大喜利のようにすっかり大人になってから落語に興味を持って触れてみることは出来るのか、と質問した。いろんなひとの話の途中で、思いつくことを口にした。聞くのも話すのも楽しかった。吉永さんはしきりに手汗さんに「こいつが酒強いんなんやねん」というようなことを言っていた。お店が騒がしくて、向かい側に座る2人とあまり話せなかったのだけが悔やまれる。

1軒目を出て、吉永さんが一足先に帰っていった。2軒目に移った。お酒を片手に「え、みんな電車大丈夫ですか」と聞くと「いま乗らないとですね」と返ってきた。焦る様子もなかった。そうだった、大人も案外終電を逃すのだった、と思った。tttoをやり出したときにも驚いた覚えがある。カラオケに行くことになった。道中で島さんが「終電逃したの初めてかも」と言っていて、嬉しいようなそわそわするような気持ちになった。「実はこれ食べたことない」みたいな、誰かの初めてに居合わせるときはいつもそわそわする。それが良いものになってほしいと勝手に思う。

カラオケに着く。「いきなり熱唱する」を半ばボケのつもりで行うも、カラオケでは当然の行為なので単純な熱唱となった。熱唱はしなさそうなところでしないとウケない。他のひとの選曲に影響されるところもありつつ、みんな比較的好きに歌っている感じがする。途中で一度寄せるつもりの選曲で寄せ切れなかった瞬間があり、それ以降は本当に何も気にしなかった。「あまりにも急に知っているサビに突入する曲」はいつ歌っても面白い。Stevie WonderのHappy Birthdayに関してはサビ頭の「ハッピー」が「ヘァっぴぃ」みたいに極端になりやすいのも面白い。一音だけ高いし。

手汗さんがアニソンを歌い、あかむつさんの「これなんだっけ!」が始まった。「これたしか〇〇ですよね」「え、違う!?」「〇〇じゃなかったっけ」「絶対ノイタミナ枠なんだよな」「ちょっとノイタミナの一覧だけ見ます」「うわーーーーーー!!!!」だった。「うわーーーーーー!!!!」のところで見たことない跳ね方をしていた。人は座った状態から跳ね上がることができる。

ウォーリーさんと手汗さんはちょくちょく選曲で反応し合っていた。詳しく覚えていない。人間椅子など。島さんがI love youという曲を入れて、これが尾崎豊でウォーリーさんに向けて歌われるものだったら私はシシガシラみたいな顔をするしかないと思った。尾崎豊じゃなかった。結構アップテンポだった。カラオケキャスのことを急に思い出した。島さんが反応してくれた曲があって、それを歌うことにした。思い出せてよかった。

あかむつさんから曲のリクエストがあった。「前カラオケ行って、東堂さんが歌ってたの聞いて聞くようになって」と言ってくれて嬉しかった。生活の中のちょっとした習慣とか、好きな曲とか、なんとなく使っている表現とか。そういう小さなものをいつのまにか渡したり、もらったりしている。それがわかった瞬間に嬉しくなる。自分が関わったひとたちの小さななにかが気付かないうちに自分の生活に溶け込んでいたり、その逆もあったりすると嬉しい。人生観が変わった!とか、新たな知見を得た!とかじゃなくていい。

あかむつさんはまだ翻弄されていた。手汗さんはその後も何度か「これなんだっけ」を仕掛けて、あかむつさんの「絶対200X年代くらいなんだよな〜」「え、違う!?」「もう俺わかんないよぉ」「〜♪(出だしからいきなり一緒に歌える)」「絶対知ってるのに」などを引き出し続けていた。最終的に、あかむつさんは正しい答えを見てもしっくり来ない状態になった。「そんなわけない」「そんなわけないのに」「メンタリズムか!?」「手汗に感覚が破壊された!」と言っていた。

私は京都に泊まるので、みんなを見送った。去り際に島さんが「楽しかった。本当に、楽しかった」と言ってくれて、嬉しいのと強く強く共感したのとで「よかった」としか言えなかった。なんだかわからないけどそっとグータッチをした。一呼吸置いた「本当に」のところがすごく嬉しくて、反芻しながら河原町を離れた。

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