大人になっても
午後8時で店が閉まることは承知で、それでもどうしても飲みに行きたくて、自分の家であるらしい一軒家から誰かに「行ってくる」と告げて飲みに行く夢を見た。
そこまで都会ではないらしく、ビルやマンションといった類は一切見かけない。住宅街ではあるようで塀が続いていて、結構歩いてようやく何軒か飲み屋がある場所へ出た。
あと1時間あるからラストオーダーには間に合っただろうと思っていたが、そんなことよりも単純に席数が足りず、古民家を改装した深い茶色の木造の居酒屋のなかをウロウロしてから外へ出たところで目が覚めた。
眠る前はどうも暗い気持ちで、そこに少しの眠気が襲ってきたのでこれ幸いと寝たことを思い出した。何も考えたくなくて、惰性で見ていた動画がそのまま再生され続けていた。スマートフォンから女性の声が流れていた。表示を見ると1時間以上ある動画だったので、おそらくそれくらい眠っていたのだろう。
あまり何をやる気にもなれない落ち込み方だったが、何もしないと自分がどんどん内に籠っていくのは知っているので、リビングのテレビでまたいくつか動画を見る。空腹と暇が気分の低下を後押しするから、これ以上は落ち込みたくなくて夕食の残りをつまみながらお酒を飲む。
お酒の缶を右手で掴むので、使わないあいだ箸は左手に持ち替えていた。お酒を飲むとき以外は、なぜか右手は頭の上へ乗せていた。左手では親指を挟むように箸をクロスさせ、手持ち無沙汰を解消しながら、右手は肘から手首のあたりを頭に乗せて手首をだらりと左側へたらしていた。もし自分のドキュメンタリーがあったら、こういう無意味な姿勢をとっているところも流してもらいたいと思った。
関連動画のところにフジファブリックと斉藤和義と奥田民生が"若者のすべて"を演奏している動画が表示されていた。おそらく元々のボーカルの志村さんが亡くなってからの動画であるようだった。再生すると、同バンドのメンバーで志村さんの死後ボーカルを担当することになった山内さんが"若者のすべて"を歌い出した。何年か前、自分とは違うノリとコミュニティで盛り上がっていたクラブのDJやお客さんたちが、最後にかかったこの曲で感傷的になっていたのを思い出した。信じられないくらいたくさんの音楽を聴いていて、知らない素晴らしい音楽の話ばかりしているひとたちが、やはりこの曲に胸打たれているというのが不思議な気がした。いい曲はやっぱり誰にとってもいい曲なのかと思うと嬉しくもあった。
そもそも暗い気持ちだったのは、ここ数日自分の人間的に良くない部分に直面していたからだった。何人かの人に迷惑をかけてしまう出来事があって、それについて謝罪の連絡をしたはずなのに、読み返すと丁寧な言葉を使いながら自己保身をしている感じがあった。返信が無い人がいたのも、きっとこの謝罪の中にある自己保身のにおいを嗅ぎ取って私に失望したからではないかと思った。
時折「優しい」と言われる度に、物腰や言葉遣いから柔らかいとそう見えるのかなと思う。極力正直でいようとしているのを指して「優しい」と言われる場合もあるのかもしれない。
心にもないお世辞は言わないし、助けられるときは助けようとする。出来るだけ相手を傷つけないように言い回しに気をつけたりもする。でもそれは、嘘をつくことへの嫌悪感を極力抱きたくないとか、好かれたい嫌われたくないという気持ちが根底にあるからで。無条件で相手のためを思うこととはたぶん少し違っていると思う。個人的には「優しい」というのは、自分より他人を思いやれることではないかと思うし、私はそこには当てはまっていない。私の行動は結局のところ、自分のことばかり考えて行われている。
だからきっと、マイナスの出来事を起こしたときに、謝罪とともに嫌われまいという自己保身が前に出てきてしまうのだと思う。そんなことは本当は、謝罪や相手を思う言葉と並ぶべき内容ではないのに。それなら最初からそういう人間らしく振る舞えばいいのに。優しげな雰囲気だけ醸しておいて、次第にそうでないとわかってくるとしたら、こんなに不快なギャップもないだろう。ただ最初から嫌なやつよりも、ずっと失望される気がする。
ひとたび自分のことが嫌になると、普段気にしまいとしている色んなことがまた気になってきた。あのひともあのひとも、自分のことを嫌っているのではないか。良い悪いに関わらず、普段から自分に対してのイメージの変化を感じ取ることは多く、後になって確認をとると実際そうだったと驚かれる。だから落ち込んでいるからといって「あのひとにきっと嫌われている」をただの悲観的な妄想として切り捨てられない。ただ悲観的で無根拠な妄想をしているだけなら、自覚すれば済む話なのだけれど。
テレビの画面で、再生が終わった"若者のすべて"のサムネイルが光っている。元々を知っているからこそ、あの声じゃない、あの人ではないが強く感じられる動画だった。こんな素晴らしい曲を作れる人が死んでしまって、自分のような優しくない人間が、今日ものうのうと生きている。何を生み出せるわけでもないのに。誰を思いやれるわけでもないのに。
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