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鈍い待ち合わせ



 批判的な目はいやだなあ、と思う。自分に帰ってくるから。ピロティホールの談春の独演会の(文七元結だった)帰りに病み上がりのKちゃんと会って、「感染るから」とコンビニで四本、ビールを呑んだけど足りず、どうしてもお湯割りが呑みたいと言って彼とKちゃんは店に入った、鳥貴族は安くて二人で千八百円だった、「また来てくださいね」と若い女性店員が言うのを天使みたいだと思った。
 翌日の仕事中も彼はずっとKちゃんとの会話を反芻しながら思っていた、批判的な目はいやだなあ。自分に帰ってくる。いつからその目が現れたか。Kちゃんはときどき気のふれたような酔い方をするけどそれは優しいからで、昨日は酔っていないようだった、死とかについて話す。「例えば死とか死にたい、という言葉は、他の言葉に言い換えたらいいかも知れないよ、本当はその言葉は言葉になるまえの感情で、たまたまその言葉に成って、いるだけかも知れないよ」そしてKちゃんはこれを本で読んだ、と言った。彼はそれを言うKちゃんの口を見、やっぱり優しい、と思い、それから口に手を差し込みたいと思った。
 エレベーターの液晶の画面につがいのピューマの写真が定期的に表示される。あ、ピューマや。なんでピューマなんやろう。熱帯という小説に、それに虎が出てくることを思い出す。でもなんでピューマなんやろう。その写真はとても綺麗で面白かったので、仕事も楽しく笑ってした。
 ここにないものを思い出したり考えたりするとき、理由はあっても意味はないことも全然ある、と思った。彼が理由を知りたいのは単純に納得したいだけなのやと思って、飛んできた塵紙を足で蹴った。

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