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ボスニア・ヘルツェゴビナ、同じ年が刻み込まれた墓標

2008年の夏のはじめ、スロベニアからクロアチアを経由してボスニア・ヘルツェゴビナを旅行した。
クロアチアのドブロブニークからボスニアの都市モスタルにバスで移動した。
今でこそ別の国に属するが、かつてはユーゴスラビアの町。
バスの便はそれなりにある。
国境を超える国際バスと言っても国を超える感じはあまりしない。

ドブロブニークを出発して、途中ミニストア(雑貨屋のような場所)で
トイレ休憩と買い物時間を取った後、バスはボスニアの国境へ向かった。
数時間後にモスタルに到着。

バスターミナルは町の中心に近い場所にあった。
宿は予約していない。
しかし心配しなくても大丈夫。
バスの到着時間になると、客引きが現れるのだから。
この客引きはホテルの客引きと言うよりも、自宅の部屋を間貸しする。
よく言えば民泊。
「プライベートソバ」と書かれた紙を持って、バスから降りる客に声をかける。
※「ソバ」は、部屋の意味。

私はバスターミナルに近い、アパートに住むおばさんについていった。
値段を聞いて、部屋を見せて貰い問題が無いので、ここに泊まることにした。
「そんな呼び込みに付いていって大丈夫?」
と思うかもしれない。
以前にも同じく旧ユーゴスラビアだった国の地方都市を旅行するときに何度か利用したことがある。

ロケーションが微妙だったり、家の設備が微妙だったり、
隣の部屋がうるさかったりと問題がある場合もある。
しかし安全面では危ない思いはしたことがない。

今回立ち寄ったモスタルは、90年代前半の内戦で町が破壊された場所。
さほど大きな町でないので、宿泊施設は限られている。
そのうえ決して安くない。

それならば呼び込みで条件の合うところを探した方がよいだろう。
バクチのようであるが今回も呼び込みのお世話になった。

部屋を見て特に問題なし。
周りの治安も悪くない。
水回りも衛生状況もまずまずだった。

部屋に荷物を置いてから観光に出掛けた。

まずは旧市街を目指した。
ここには町の名所、「古い橋と言う意味を持つ、スタリモスト」がある。
底を目指した。

この橋はテレビでも取り上げられたことがある橋。
地元の若い男性たちは、ここから川に飛び込むことで「男らしさ」をアピールする。
どこの国でもあるんだな、このような「通過儀礼」。

しかし内戦のさなかこの橋は破壊された。
そして内戦中、この小さな町で民族により地区の棲み分けが進んだ。

この橋は、異なる民族の住む二つの地区をつなぐ役割を果たしていたからだ。
内戦が終わってから橋は修復され、かつてのように歩くことができる。
早速橋を歩いた。

橋を渡ってからも旧市街を歩き続けた。
町の中心にある建物はだいぶ修復が行われていたが、
少し外れると内戦の爪痕が残る建物がまだたくさん残る。

更に歩くと柵に囲まれ、墓標が並ぶ一角がある。
墓地のようだ。
もともと墓地だった場所ではなくて新たに墓地になった感じである。

柵越しに覗き込むと、年代があ1992年で終わる墓標が並ぶ。
1992年は内戦のあった時期。

川の向こう側にある別の民族の住む町に行くと同じように内戦の年が書かれた墓標が並ぶのであろう。

私が訪れたのは内戦が終息したと言われて、10年以上たつ時期。それでも内戦の爪痕がこれだけ残るのだから、直後は想像を絶するものだったのだろう。

夕方が近づき、暮れなずむ空を見ながら宿に戻った。

※冒頭の地図はGoogleMapsより引用。

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