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松尾芭蕉からビジネスに繋がる何か

【今日は何の日アピール】

5月16日は「旅の日」1689年に松尾芭蕉が「奥の細道」の旅へ旅立ったことが由来で制定。

出身地が伊賀忍者で有名な“伊賀上野”
40歳過ぎてあの時代に徒歩だけで、たった150日の日本全国行脚。

有名な俳句残し、行動力が半端ない。忍者🥷かも?俳句はブラフで諜報活動か!?
服部半蔵が同一人物なんでは?!と都市伝説的に語り継がれてますが、信じるか、信じないかは、あなた次第…。

江戸時代中期の俳諧師・松尾芭蕉(まつおばしょう)が弟子の河合曾良(かわいそら)とともに、日本各地を旅した俳諧紀行。元禄2(1689)年江戸深川を出発、みちのく(奥州・北陸)の名所・旧跡を巡り、9月に大垣に至るまで約150日間、全行程約600里(2400キロメートル)を歩いたといわれています。旅を愛した芭蕉は、そこで見た風景から多くの句を生み出しました。ちなみに、一般的には「奥の細道」という表記で使われていますが、原文では「おくのほそ道」となっています。

松尾芭蕉が奥の細道に旅立ったこの日について、2つ気になった。

①40歳超えてからの行動力と結果

②実は俳句はブラフで忍者活動メイン


5月16日は、スゴイ日なんじゃないかな、、、『旅の日』恐るべし。スタートするなら、今でしょ!

【40歳過ぎても】
今ぶっ飛ぶべきでしょ!僕は、昨日、誕生日迎えた42歳。お祝いに感謝!コロナ禍あれこれ考える時間増えて、中途半端に“意識高い系”になりました!Twitterも再稼働しました!松尾芭蕉は40歳超えてからの全国行脚。彼みたく、俳句を詠んで、石碑に刻まれるくらいになるぜ!と意気込み…

【オモテとウラ】
5月16日は「旅の日」松尾芭蕉は、表は俳句の達人。裏は忍者(諸説アリ)因みに硬貨は絵柄が表です。10円なら平等院鳳凰堂がオモテなんですよ。オモテとウラは、単純にどっちが『カッコいい』って思うかが大事♡世間一般的にはオモテの顔が大事。だって俳句みたく、認知度ほし〜よね♡

【松尾芭蕉、奥の細道名句】
こんな日だから、既に有名でご存知だとは思いますが、5つ紹介して終わりたいと思います。

五月雨の降り残してや光堂

光堂は、平泉中尊寺の金色堂のことです。この寺が建てられてから、五百年にわたって毎年降り続いてきた五月雨も、さすがにこの光堂(金色堂)だけは遠慮して降り残したのだろうか。今でも光堂は昔のままに燦然と輝き、かつての栄光をしのばせている。

夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡

平安時代に奥州藤原氏が栄華を誇った場所として知られている、平泉(現在の岩手県)を訪れたときに詠んだ句です。夏草だけが生い茂る屋敷跡を目の当たりにし、「すべては短い夢のようだ」と無常観を表現しています。自然の雄大さと人の世の儚さを対比し、無残にも果てた者達への供養や鎮魂の意が込められた句です。

古池や 蛙飛び込む 水の音

古い池に蛙飛び込む音が聞こえてくる、なんて静かなのだろう。「蛙が古池に飛び込む音が聞こえてきた」という単純な情景ですが、日常的な事物にしみじみとした味わいを見出す芭蕉ならではの名句です。当時は蛙といえば鳴く姿を詠むことが多かったのですが、水の跳ねる音に注目した点は新しい感覚でした。

閑さや 岩にしみ入る 蝉の声

なんて静かなのだろう。石にしみ入るように蝉が鳴いている。この句を詠んだ山形県の立石寺とは、大きな岩が重なったような山に建てられた寺院です。その静けさの中で聞こえてくる蝉の声は、周りの岩にしみ透っていき、なお静寂を引き立たせるようだと表現しています。静寂がもたらす無の世界で、己の心を見つめる芭蕉の姿が目に浮かんでくるようです。

五月雨を 集めてはやし 最上川

梅雨の雨(さみだれ)を集め水かさが増している、最上川の急流よと詠んだ句です。当初の句会では「五月雨を 集めて涼し 最上川」と詠んでおり、涼風を運びながら穏やかに流れる様子を表現していました。しかし実際の最上川は日本三大急流に数えられるほど流れが早く、長雨により増水した川はより危険さを増していたはずです。川下りで激流を体験した芭蕉は、思わず「集めてはやし」と句の内容を変更したといわれています。経験から、色々と変わっていくことはビジネスでも通づる。

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