「お金」とは何かについて(ぼやき)
自分にとっての「お金」観の変遷
昔は、お金は、いわゆる「お金」だと思ってました。つまり、「紙幣」と「硬貨」のことで、これがあると欲しい「モノ」と「サービス」が買えたりして、大層便利だなと考えていました。
大学生に成り立てくらいの頃には、少し主観的・感情的な抽象化が進んで、お金は「自由」を鋳造したものである、と言う認識を持ち始めました。あるいは、その時はお金のアリナシが社会で強い人・弱い人をランキング付けする指標のようにも見えていて、少し表現は違うかもしれませんが、「承認」が買える不思議なもの、なんていうイメージも持っていました。
そしてその後、自由や承認といった主観的・感情的な捉え方は脱却して、より客観的にお金って何だろうと考えるようになりました。その辺りから、お金は「価値」を数値化したようなもので、それを移転可能にしたような何か、と言うイメージが湧いてくるようになりました。
そして最近(まだ一応大学生)では金融のことを勉強するようになって、おかげで「価値」と言っていた曖昧な抽象概念を、(抽象的なままだけど)「信用」と言う言葉に置き換えて考えるようになり、お金はモノというより、「システム」であるという認識が芽生えてきたように思います。
「お金って何だろうか?」。少しかっこよくいうと、「お金の本質とは何か」。"本質"なんていう、本来この世に存在しない、10人いれば10通りの答えになるような虚構を追い求めることには気が引けますが、でもやっぱり、ふと時間が立つ度に、「お金って何だろう?」と考えてしまいます。
経済学的・金融学的に定義される「貨幣」や「通貨」という概念が、別に絶対だとも思ってはいないのですが、学術的な観点から、歴史ベースで語られるお金の話には、やはり学ぶことが多いなと感じています。例えばこれ。
→この記事に関して少しメモを挟むと、宋銭の話は、お金が個人が特定の中央機関を信用せず人々のコンセンサスのみでもワークするという事実を説明してはくれるけど、その期間内に劇的に経済が拡大or縮小することがなく、通貨の需給をコントロールする主体の必要性がなかった。=信用に過度にレバレッジかけたり、買い支える主体(例:中央銀行)がいなくてもどうにかなる社会状況だったのでは?とも感じた。文献読んでないので憶測ですが。
見てみたい「お金」
話は変わりますけど、自分が見てみたいものは、国でもない企業でもない、お金と、そのお金が中心に広がる経済です。
で、お金の部分で言えば、その理念をがっつり体現しているのがビットコインという存在で、個人的には、世界最高額のアート作品はビットコインだと考えています。(やべえいいこと言った(ダサい))
そして、ビットコインを貨幣という観点で見た際の最大の弱点である、「価格の不安定性」を克服し、分散的な通貨システムの構築を目指すMakerDAOとDAIには、心から惹かれます。(ビットコインナーや金融バックグラウンドの方々がMakerDAOを避難する理由も重々承知した上で。。w)
ビットコインの周りには未だ経済の中心的貨幣になる能力はなく、デジタル・コモディティに止まっている一方、Ethereum(スマコン)ありきの話ですが、実際DAIの周りには、分散的な経済圏が作られ始めています。
こういうお金の何が面白いのか。話が長くなりそうだし、現に実証されていないメリットを語るとポエム化しそうなので、ここでは控えます(DeFi系のメリットって何的な話はこれまで散々書いてきたし、探せばそこら中に転がってます)。w
今日はここまで。。。