【歴史】~飛鳥時代

猿人…約700-600万年前にアフリカに
原人…約240万年ほど前に出現。火や言葉を使用
新人(ホモサピエンス)…約20万年前にアフリカに

旧石器時代…狩りや採集をし、打製石器を使用していた。岩宿遺跡(群馬県)で打製石器が発見されたことから日本にも旧石器時代があったことが発覚。
新石器時代…一万年ほど前から。農耕や牧畜が開始され、土器を使用した。磨製石器も普及した。

四大文明
メ→エ→イ→中
農耕や牧畜が発達したことで争いが増え、国へ発展。都市が生まれ、青銅器や鉄器、文字の使用が始まる。これを文明が起こるという。
メソポタミア文明
年:紀元35
場所:チグリス川、ユーフラテス川
発明:楔形文字、太陰暦、60進法、一週七日制、ハンムラビ法典

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エジプト文明
年:紀元31
場所:ナイル川
発明:象形文字、太陽暦、ピラミッド
※メとエ合わせてオリエント

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インダス文明
年:紀元23
場所:インダス川(モヘンジョ=ダロ)
発明:都市、身分制度

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中国文明
年:紀元16に殷
場所:黄河、長江
発明:甲骨文字

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秦が中国統一。その秦のトップが始皇帝を名乗ります。そしてその始皇帝が遊牧民が中国に侵入しないように万里の長城を築きました。その次は漢が中国を統一します。漢はシルクロードで西方と交流しました。この時代は孔子が起こした儒教が国の教えになります。
朝鮮半島では高句麗がおこる。

ギリシャ
アテネやスパルタのような都市国家(ポリス)が地中海各地に建設される。ギリシャは男性市民全員が参加する市民会を中心に民主的な政治が行われていました。ギリシャではパルテノン神殿、哲学、数学、演劇などが有名です。アレクサンドロス大王がペルシャに遠征したことをきっかけにギリシャとオリエントの文明が結びつく。これをヘルニズムと呼びます。

ローマ帝国
地中海を囲む地域を統一し、帝政へ。首都ローマは世界最大級の都市になりました。後のヨーロッパに大きな影響を与えます。

三大宗教
仏教:釈迦、インドで発祥しアジアに伝わっていく
キリスト教:イエス、ヨーロッパから世界各地へ
イスラム教:ムハマンド、アラビア半島からアジアやアフリカへ

氷河時代:氷期と間氷期が繰り返された。大陸と陸続きになっていたため、大陸と同じような大型動物がいました。

縄文時代
約1万年前から紀元前三世紀ほど前まで
縄文土器:土器の表面に縄目の模様がついている。厚手で黒褐色。土器は食べ物を蓄えたり煮たりするのに使われていた。
生活:木の実の採集や魚などで生活していた。それらのごみは貝塚に捨てられていました。貝塚は海岸や水辺に多くあります。そのほかは土偶などが使われていました。土偶は土で出来ていて、祈りや魔除けに使用されていました。暮らしはたて穴住居で、地面を掘ったくぼみに立てて屋根をかけています。これらの暮らしを再現した遺跡が青森にあり、三内丸山遺跡と呼ばれています。

弥生時代
紀元前三世紀から三世紀ごろまで
稲作:弥生時代は稲作が大陸から九州に伝わった。稲の刈り取りのために石包丁といったものが作られました。また稲の保存のために高床倉庫も作られています。ねずみなどから稲を防ぐためにネズミ返しといったものも高床倉庫に取り付けられたりもしました。
金属器なども大陸から伝わっていました。鉄器や青銅器はもちろん、銅鐸がこの時代によく使われていました。そして弥生時代にも土器があります。弥生土器は高温で焼かれ、赤褐色で薄めで固めです。
この時代、土地や水などを求め争いが起こります。それによって貧富の差が生まれました。争いが起こっていたのは物見やぐらや柵などを見ることでわかります。そういったものは佐賀県にある吉野ケ里遺跡、静岡県の野呂遺跡で見れます。
邪馬台国
①争いが頻繁に起こっていました。勝った村が負けたところを従えていたようです。そして小さな国々や有力者が誕生しました。そういったことは「漢書」地理誌などに記されています。この書物には紀元前1世紀に倭には100余りの国が存在していたこと、漢に使いを送る国があったことが書かれていました。
②「後漢書」東夷伝には倭の奴国が後漢に朝貢したことが書かれていました(57年)。後漢の光武帝は金印を送り、その金印に「漢委奴国王」と記しました。この金印は福岡県志賀島で発見されています。
③「魏志」倭人伝
ここには邪馬台国が魏に朝貢していたということ、卑弥呼が倭の30あまりの国々を従えていたことが書かれていました。魏が邪馬台国に金印を送り、そこには親魏倭王と記されていました。

大和政権
三世紀後半に奈良盆地を中心に栄えました。六世紀末まで続き、その時代を古墳時代と呼びます。王がトップにいて、その下に豪族がいました。これと同時に豪族や王の墓として古墳が作られました。古墳は前方後円墳が多く、その中でも大阪にある大仙古墳が代表的です。このような古墳は埴輪に囲まれていました。
ちなみに大王と呼ばれるようになったのは五世紀からです。
この時代中国は北朝と南朝、朝鮮は高句麗、百済、新羅、伽耶地域の四つに分かれていました。高句麗は3-4世紀ごろに朝鮮北部で領土を広げました。
①大和政権は百済や伽耶地域と手を結び、高句麗や新羅と戦いました。
②大和政権は南朝によく使いを送っていました。埼玉県の稲荷山古墳からワカタケル大王と刻まれた鉄剣が発見されています。
③朝鮮から日本列島に移り住み技術(須恵器など)を伝えた人達のことを渡来人と呼びます。

飛鳥時代
この時代は蘇我氏と物部氏が対立していました。蘇我氏は渡来人は積極的に受け入れ、物部氏は古来の日本を大切にしようという考えだったのです。この時推古天皇が即位し、聖徳太子が摂政になり、天皇を中心とする政治制度を作りました。聖徳太子は冠位十二階の制度を作り、家柄にとらわれず、有能な人物を役人にできるようにしました。そしてもう一つ、十七条の憲法は役人の心得を示したものです。
聖徳太子は髄に小野妹子を遣隋使としてを送りました。
このころの文化は飛鳥文化です。日本初めての仏教文化でした。飛鳥文化は法隆寺などが有名です。世界最古の木造建築で、釈迦三尊像などが収められています。

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