より良い情報を多くの人に届けていく 聞平堂 "弓削 聞平"さま
届けたい情報が届けたい人に伝わって無い事を、自分の課題として問題意識を持ち、届けたい情報を届けたい人に伝えることを行っている弓削 聞平さんにお話を伺いました。
プロフィール
出身地: 福岡市
活動地域:福岡市
経歴:
地元出版社を経て2000年(40歳)よりフリーエディターに。グルメ雑誌「epi」「ソワニエ」を立ち上げ、2018年に「ソワニエ」を卒業。「ぐる〜り糸島」「福岡の隠れ家・穴場」等、グルメ・福岡をテーマにした出版を行いながらコラム執筆、ラジオ出演なども。
現在の職業および活動:編集・出版
「届けたい情報を届けたい人に伝える」
Q.どのような夢やビジョンをお持ちですか?
弓削 聞平さん(以下、弓削 敬称略):そういうのはないかなぁ(笑)。より良い情報を多くの方に伝えて、喜んでもらえればいいですね。今は情報が多すぎることもあり、届けたい人にちゃんと情報が届いていない現実があります。
先日も身近な方でおいしいものが好きな人がいて、その人が雑誌やSNSなどで何回も取り上げられているお店を知らなかったんです。情報を伝えることの難しさを実感しました。ちゃんと届ける方法があったはずなのに、自分のスキル不足などの課題が見えてきて悔しかったです。
情報の1つの例としてお店のことを考えた場合、もちろん良いお店というのは主観なので、私が良いと思っても10人が行って10人が良いということはありません。でも味はもちろん、店のスタッフの接客や、値段、お店の雰囲気など、より信頼度の高い情報を届けていきたいです。
情報を扱っていて「あの本を見てお客さんがいっぱい来てくれたよ」とか「あの本がきっかけで美味しいお店を探すようになりました」などと言って頂いた時がすごく嬉しいです。
もっとより良い情報を多くの方に届けられる様にしていきたいです。
記者:届けたい情報が届けたい人に届かないことを自分の課題として問題意識を持ち、それを解決するために、試行錯誤しながら実践し続けている姿が素敵だと思いました。
Q「より良い情報を多くの方に伝えていくこと」を具現化するために、どんな目標や計画を立てていますか?
弓削:目標や計画を立てる時に、初めに届けたいものがあり、それがどうしたら届けられるかを考えます。
たとえば、糸島ブームの火付け役になったサンセットというお店があるのですが、そのサンセットの立ち上げからのストーリーを書籍にしたいと思っています。30年前にまだ店なんてほとんどなかった糸島半島で、ひとりのサーファーが、「サーフスポットの目の前で店をやりたい」と思ったことから始まり、やがて街をリードしているような人たちが集まり始めました。
当初、夏はいいけど、冬は誰も来ないだろうとみんな言っていたのですが、見事いい方へ期待を裏切りどんどん有名になっていき、今では幅広い年代の人たちが来る人気店になり、「サンセットライブ」を主催するまでになりました。
しかし、サンセットの立ち上げからのストーリーを多くの人は知りません。それが悲しいなと思い、何とかこれを残したいと思ったんです。そこからWebメディアや本、雑誌などどうしたら届けたい人に届けられるかを、メディア特性や費用なども含めて考え、具体的に形にしていってるところです。
記者:どうしたら届けたい人に届けられるかを、色んな角度から考えているのが伝わりました。具体的なお話も色々聞かせて頂き楽しかったです。
Q.「より良い情報を多くの方に伝えていくこと」に対して、現在どのような活動指針を持たれていますか?
弓削:当たり前のことですが、ウソをつかないことと客観性を持つことです。例えばグルメ雑誌をやっている時に、基本的に飲食店の広告は受け付けていませんでした。色んな飲食店からお金を頂いて本を作ると、信頼性と客観性が保てなくなりがちです。例えば居酒屋特集をやることになった時に、スポンサーのお店を、載せないわけにはいかないですし、スポンサーの要望を断りにくくもなります。
本音で書いてないことは読者には伝わりますから。それが徐々に広がったら「この本そんなに良いお店が載ってないよね」などと評価や信用が下がり、やがて誰も見てくれなくなってしまいます。
私が載せるお店は、良いお店だろうと信頼して貰っているので、その信頼を裏切らない様に気をつけています。
記者:届けたい情報が届けたい人に届けられる様に、ウソをつかずに客観性を持って取り組んでいる弓削さんの在り方が素敵でした。
Q.そもそも、「より良い情報を多くの方に伝えていくこと」を思う様になったきっかけは何ですか?そこには、どのような発見や出会いがあったのですか?
弓削:本に関わりたい思い、大学を出た後に地元の情報誌出版社に就職しました。
その会社に入ってまず言われたのは「正しい情報を伝えることが最優先、情報を伝えて人を動かすことが大切だ」と何回も何回も言われました。
私は情報誌の編集部ではなく、主に広告営業やムック編集の部署に居ました。入社してから色んなことをやりましたが、正しい情報、おもしろい情報を届けて人を動かす楽しさに夢中でした。しかし、経験、年齢とともに中間管理職になり、会議やなんかで現場から距離が出つつあったし、会社の方針とのズレも出てきたので退社してフリーの編集者になることにしました。
当時、地方においてフリーランスで編集だけをやってる人はほとんどいなかったのでどうなることかと思いましたが、たまたま時代や環境が幸いし、グルメ専門エディターというポジションをみつけられました。そんななか、依頼された編集だけでなく、自分で本を出版することにもチャレンジしていきました。出版というのは博打みたいなのもので、売れればいいけど、売れなければ自分がかぶることになるうえ、お金のサイクルもとても非効率でおすすめできるビジネスではありません。しかし、作りたいもののアイデアが湧いてくると、もう作らずにはいられないんです。なかには「あまり売れないだろう」と思うものもありますが、それでも役立ててくれる人がいる、楽しんでくれる人がいると思うと、つい手をつけちゃいます(後悔することも少なくありません)。
記者:出版社に入ったことで、情報を伝えることの大切さとおもしろさを知り。リスクがわかった上で、届ける先の人のことを思って、作りたいものを作っている勇気は本当にすごいと思いました。
Q.「本に関わりたい」と思う様になった背景には、何があったのですか?
弓削:小学校の時に壁新聞や学級新聞を作るのは好きでした。
みんなでテーマを決めて、話して、取材して形にするのが楽しかったんです。
その後も課題ではないのに、新聞をみんなで作ったりしました。
そこで作る楽しさを覚え、将来は出版社に入りたいっと思ったんです。
その後、高校の時には身近にあったおもしろいことをハガキで雑誌やラジオに投稿したりもしました。それが選ばれて読んで貰ったり、誌面に載るのが嬉しくて何回も投稿しましたね。そんな経験も本に関わりたいと思う気持ちにつながっていったように思います。
記者:小学校の時の壁新聞を作ったことから、弓削さんの届ける思いが始まったことがわかり、きっかけがやはり大事だなと改めて思いました。
Q.読者の何かを変えようとしている人たちに向けて一言お願いします。
弓削:コミュニケーション力に乏しい私が言うのも恐縮ですが、ぜひなじみの店を作ってみてください。
なじみの店というのは、値段、立地、店の雰囲気、店主の性格、そしてそこに来る常連たちの人柄など、さまざまな点で相性が合わないとできませんが、そこで過ごす時間、そこで出会う人は、これからの人生を豊かにしてくれると思います。想像以上にお店の人は1人客の相手をすることには慣れています。何も言わずとも気にかけてくださるはずですし、それができない店はなじみの店にする上では、良い店とは言えないでしょう。
記者:届けたい情報が届けたい人に届かないことへの問題意識やそれを自分の課題とし、試行錯誤しながら実践し続けている弓削さんの在り方が本当にかっこいいなと思いました。貴重なお話ありがとうございました。
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HP:
【編集後記】
インタビューの記者を担当した不知と三浦です。
素敵な空間の中で、弓削さんの認識の変化のきっかけや実践されてきたお話を聞くことができ、とても楽しい時間でした。
今後の弓削さんの活躍が楽しみです。
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この記事はリライズ・ニュースマガジン“美しい時代を創る人達”にも掲載されています。
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