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民間武術探検隊 ~通背の郷3~

「通背海の家」は小高い丘の上にあり、そこからの景色はなかなかだ。
ここに向こうで撮ってきた写真がある。通背ビーチへと続く田舎道。その両側にはトウモロコシ畑が「だぁーっ」と広がり、さらにその向こうは真っ青な空と真っ青な海。それを見た友人は「良いトコじゃーん。通背三昧だったらしいし(^-^)」と言った。「まぁ、写真にツラさは写らないからね・・・(--)」、一緒に行った兄弟子は、ぽつりとそうつぶやいた・・・。

通背ビーチへの道

第三章 通背虎の穴


「不行 ブゥシン(だめだ)」
「不対 ブゥドゥイ(ちがう)」
何度この言葉を聞いたであろう。王師兄はなかなか威圧感のあるタイプである。身体もデカくて、例えるなら、生活指導の教師(当然、科目は体育。いつもジャージ着用)といったところか。

王師兄


通背練習は早朝と昼前に行われた。
早朝は比較的涼しくて、練習には向いているが、昼前は相当暑い。
そんな所で練習する訳だから、体力の消耗も激しい。
時折、「透き通った水(ミネラルウォーター)」の差し入れがあるのが有り難かった。
その透き通った水は、我々の間で『命の水』と呼ばれ、それはそれは大切に使用された。

練習のメインは基本功と五行掌の単式。徹底的に王師兄のやり方で直された。(伸肩法以外)

王師兄の指導を受けるQ隊員


普段やり慣れた練習が、まるで初めて行うかのように疲れる。
「あぁ、初心者って、こんな感じなのかもしれない。これからはやさしくしてあげよう。」などと思ったりもした。(まぁ、あまり指導する事もないけど>初心者)
注意された事を気を付けながら行うが「ぉらぉらー、指と肘って言ったろうがー」(実際こんな言い方じゃないけど(^-^;)と王師兄の指導は厳しい。

延々基本功をやった後で、大会参加者は個別に套路の練習を見てもらった。大会参加者は三名。Q隊員とB隊員とぼくである。
Q隊員は明堂功(だが、諸般の事情により大会では「通背功」の名で表演)B隊員は、安天栄老師直伝、八極小架。ぼくは奇形花撃炮「改」を表演する事になっていた。
ぼくの表演する「奇形花撃炮」は30秒弱と短い套路なので、他の套路からの技を加えて、倍の1分くらいの「改」版にしてあった。
通背拳は「速さ」を重視するので、1分の套路でも結構ツライ(「功夫が足りない」との噂もあるが(^-^;)。
緩急はあるものの「1分間全力疾走」に近い運動量だ。
これを真夏の真っ昼間から、しかも慣れない基本功でへとへとへとになっている後に、何度も何度も何度も行うのだだだっ!ヘロヘロ
王師兄の表演会に対する力の入れようもハンパじゃなくて、ありがたいけど、もー、泣きそー(/_;)
さらに師兄と我々は会って日が浅いので、お互いにまだそれほど、うちとけていなくて、びみょーな緊張感もあり、精神的にもかなり疲れた。
さらに中国語ができる(とは言いがたいが(/_;))のがぼくだけであったため、そっちの面でも疲れた。ぼくって意外と「でりけーと」(^-^;ホントカ
そして「通背海の家」は、いつしか「通背虎の穴」と呼ばれるようになっていた・・・。

午前2回の練習が終わると、午後は自由時間であった。と言っても人里離れた「通背虎の穴」、する事と言ったら、海へ行くか、昼寝するか、おしゃべりするかくらいである。
元気な隊員達は海へ行ったようだが、ぼくはほとんど昼寝していた(肉体的にも精神的にも消耗しきっていたのだ。後半「わたる隊員やつれたな」と某隊員に言われたりもした)。
せっかくだから、王師兄のところへ通背な話しを聞きにでも行けば良かったのだが、なんとなくそんな気分にもなれなかった。

通背海の家の部屋


そんな気怠い昼下がり、風通しの良い隊員の部屋に集まって、だらだらしていると、B隊員が一冊の本を取り出した。それは『武術うーしゅう(福昌堂)』の1997年冬号であった。
その号には特別企画として「大連の散打王者・張安福氏に聞く伝統武術と散打」が掲載され、さらに散打大会に出た時に張師兄が師兄弟と一緒に撮った写真も載っていた。
張師兄と王師兄は師兄弟である。
B隊員は「もしかしてその写真の中に王師兄が写っているかもしれない」と思って、わざわざ神田の書泉で買ってきたというのだ。
流石は唯一の民間武術探険隊皆勤賞隊員である。
「この人が王師兄では?」そう言ってB隊員が指さした写真は、若くてちょっちカッコイイ口ひげ男であった。
「そう言われれば、そんな気もするけどぉー。写真古いしー。確実に似てるのって『ひげ』だけだしー」とはっきりとはしなかった。

右下が王師兄か?


「まぁ、夕飯の時にでも見せてみるか」という事になった。
そして、夕飯。
いつものように服務員的小姐が料理を運んでくれる。
前述の小姐のうちの「推定年齢17~18歳のすっぴん清純小姐」は、実は「通背海の家」のオーナーの娘である事が判明した。
オーナーの名は「李江明」、秘宗拳の達人である。

李江明オーナー(写真右が李老師、左はぼく)


常松老師の兄弟子の弟子で摔跤も得意だという話しだ。
常松老師曰く「李さん、若い頃、ケンカばかりよ。なにもコワイものなしで、困ったヨ」だそうだ(^-^;
もうケッコウいい年なので、普通にしていれば若い頃のような事はないだろう。
しかぁし、もし愛娘の清純小姐(純情小姐でも可)に手でも出していようものなら「必殺!秘宗拳ぁ~んど摔跤」の絶招で、とんでもない目にあっていたのは想像に難くない。
李老師と小姐の関係に気づいて「ひょー、あぶねートコだった(-o-;)」と、ホッと胸をなで下ろした隊員がいた、かどうか、ぼくは知らない。
さて、夕飯も食べ終わり、「じゃあ、アレ見せる?」と例の『武術』を取り出した。王師兄に「張安福師兄が出てるんです」と言って見せる。
パラパラっとページをめくって、アノ写真の所に来た瞬間「ぉおおおおー。これはオレだだだだっ!」
そして「この本、オレにくれるのかかかっ?」とすげぇー勢いでB隊員に迫る王師兄。
やはりアレは若い頃の王師兄だったようだ。(ずいぶんカッコ良かったんだな>若い頃は(^-^;)
なんだかスッゴク喜んでいるようで、服務員的小姐にも「これはなー、オレなんだだだだだだっ!」と嬉しそうに本を見せていた。
B隊員は元々あげるつもりで買って来ていたので、その旨、告げると
「ぅぉおお!ありがとぅ!あぁー、オレはどうやってこの恩に答えたら良いか分からない・・・。うん、そうだっ。オレに一晩考える時間をくれっ。明日の朝、とっておきの『絶招』をおまえに授けよう!」
王師兄は、そう熱っぽく語ったのであった。
それを聞いた我々も「ぅぉおおおおおおー。来て良かったぜぇぇぇ>通背虎の穴ー」って感じで、王師兄に負けないくらい盛り上がっていた。
「じゃあ、明日、朝5時だぞ」と言うと、王師兄は嬉しそうに『武術』を抱えて部屋に戻っていった。
我々も
「いったいどんな絶招なのかなー」
「オレ、絶招の受け役、やるっすよ」
「じゃあ、オレ、ビデオ係ね」
と思わず三合炮をしながら(あまり深い意味はない>三合炮)部屋へ戻っていった。
そして「明日は絶対寝坊できんぞ」と高鳴る胸を抑えて、ベッドへ入った。

「第四章絶招」に続く

語句解説

○命の水
ペットボトル入りの500mlくらいのヤツ。
ストローが最初から中に入ってるのとかもある。
産地もいろいろで「山東省労山」産のとかもあって、「ぉお、王朗(螳螂拳の開祖と言われる)もこれを飲んだか」(んな訳ないって(^-^;)などと盛り上がった。

○大会
「第三回国際武術交流大会」のこと。常松師父らが中心となって開催される民間武術家の交流を目的とした表演大会。
規定拳系の人も民間系の人も若い人も若くない人もいろいろ参加している。

○明堂功
通背拳で一番古いと言われる套路の一つ。太極拳のようにゆっくりと行う。現在この套路を伝えている人は少ないようだ。

○奇形花撃炮
通背拳の基本的な套路。五行掌、三合炮、狸猫捕鼠など、代表的な招法を多く含む。

○書泉
神保町にあるでっかい本屋。地下一階の武術コーナーはかなり充実している。これは売り物か?と思うような怪しげなビデオ(武術ものだよ(^-^;)もたまにあったりする。

◯『武術うーしゅう』の写真
写真下段右が王同順師兄、左が張安福師兄、そして、真ん中が陳功年師伯。

うーしゅうの写真

○民間武術探検隊皆勤賞
今回で七回目を数える民間武術探検隊の全てに参加しているのは常松師父とこのB隊員だけである。

○李江明
李老師は例えて言うなら「こちとら、江戸っ子でぇーい。べらんめぇー」的感じのする義理人情に厚いおじさんで、今回いろいろよくしてもらった。仕事は「でぇく(大工)」の頭領で、「通背海の家」の建設も自分の会社で行い、自ら指揮を執っている。

○秘宗拳
通背拳と並び大連では盛んな門派。大連の表演会で子供がやる時は秘宗拳が圧倒的に多い。特長は多彩な蹴りと独特の歩法。

○摔跤(摔角とも書く)
中国式相撲とか言われる(それが適切な表現かは?だけど)。投技が主体。近年では常東昇老師がちょー有名。

○絶招
奥儀、奥の手、切り札的な招法。ちなみに「招法」を絶招の意味で使う人もいるようだ。

○三合炮
気分がのった時とか、思わずしてしまう事もある>意味のない三合炮

1997.10.02.民間武術探検隊 わたる

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