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民間武術探検隊 ~通背の郷~

序章


遼寧省大連市は別名「通背之郷」と呼ばれている。
これは、ぼくらの曾お爺さんである「通背大師」こと修剣痴祖師爺が、晩年大連に住んで、多くの人々に通背拳を伝えたからである。
流石に「通背の郷」と呼ばれるだけあって、大連で「通背拳」と言うと「ちょっと特別な存在」的雰囲気があるようだ。
ちなみにぼくの師父も大連出身で、通り名は「快手」。
若い頃にはいろいろあって、ブイブイ言わせていたそうな>大連界隈
そんな訳で「通背の郷」大連には、民間通背拳家がけっこういるのである。
今回の探険ではどんな民間武術家に出会えるのであろうか?



第一章 通背海の家


さて、今回の探険の最大の目的は「民間通背拳家との交流」であった。(いつもそうか(^-^;)
予め常松師父のコネで数名の民間通背拳家と会える事にはなっていた。
一応予定では三名。中二名は常松師父の兄弟子で、一人は警官の「通背デカ(刑事じゃないけど(^-^;)」、もう一人は普通の「通背の人」。あとの一人は常松師父の(ちょっちヤヤコシイけど)兄弟子の弟子の「王さん」。ぼくらとは従兄弟の関係である。

王師兄

大連空港に着いたのは夜の八時頃。飛行機を降りるとアノ「中国の匂い」がする。
「あぁ、中国に来たんだな」とシミジミ思う。
既に空港には大勢の人々が我々を迎えに来ていた。
常松師父から「この人はダレさん、あの人はダレさん」と早口で説明されるが、とにかく人が多くて多くてとても覚えきれない(^-^;。
熱烈歓迎的な雰囲気の中、何が何だかわからないうちに「はやく、乗れ乗れ」と車に押し込まれた。
ぼくの乗った車はRVな新しい車で、結構良い車。車の中は、ぼく以外全て中国人であった。
「中国にも、こーゆー車が走るようになったか。しかし、もしこれが知らない人の車だったらヤバイよな」などと思いつつ、前の座席を見ると通背従兄弟の「王さん」がいる(空港で簡単に紹介されたのだ)。
ぉお~、ラッキィ!
早速、「王老師ですよね(^-^)」と話しかけるが、
「いや、オレは老師じゃない」とビシッと言われる。
あぅ(^-^;
一応、「老師」と言わないとマズイかなーと思ったのが裏目に出てしまったか。
なんとなく気まずい雰囲気のまま、車は舗装路からそれて、すげぇー道(悪路)に入って行く。
海岸沿いの細い道で、車同士のすれ違いも困難なくらいだ。しかも、街灯等は全く無く、真っ暗である。
時折、ヘッドライトに照らされる道ばたにしゃがみ込む短パンのおっさんが「いかにも」だ。
長いこと走って車はやっと停まった。
ココこそが、我々の最初の目的地「通背海の家(建設中)」だだだっ!(後に「通背虎の穴」に改名される事をまだ我々は知らない)
ここは「大連ビーチ」から徒歩2~3分の小高い丘の上にある宿泊施設付きの武術と書道の学校で、常松師父の知り合いの人が現在建設「中」なのである。

大連ビーチ


今回の探険の前半は、ここ「通背海の家(建設中)」で通背特訓を受けることになっていた。
日本を発つ前に「通背拳、練習して、暑くなったら、海、行く、良いよ」と師父から言われていた。
「なんか今回の探険は、いつもと違って、地中海のバカンスの香り漂う優雅なものか?」と地中海のバカンスを経験した事もないのに、そんな事を考えていたりした。
しかし、着いたのが夜であったため、あたりの景色はよくわからなかった。ただ、人里からは、すっげー離れている事だけはよくわかった。
荷物を部屋に運び込むと、直ぐに夕食となった。食堂の天井にはミラーボールが怪しく輝いていた(^-^;ナゼ?
常松師父は大連に来ると、いつも超多忙で我々と別行動になる事が多い。この時も夕食の場に姿はなかった。
「ここで夕食を食べる」という事実しか知らされていない我々探検隊六名と「オレは老師じゃない」王さんと知らない民間中国人数名で丸テーブルを囲む。何となく気まずい雰囲気(^-^;
服務員的小姐が、料理やビールを運んできてくれる。
服務員小姐は三人。背がすらっと高くて、サラサラストレートの黒髪が結構良い、黒ピチピチTシャツ&黒ミニスカの小姐と背は低めだけど、お化粧バッチリ、そして「夜の服(どんなだ(^-^;)」を着ている小姐、さらに推定年齢17~18のすっぴん清純小姐(純情小姐でも可)だだだっ!(一部関係者からの要望があったので、もう、ぜんぜん、全く、全て記憶に残っていなかったのを必死に思い出して書きました。)

黒髪サラサラストレート小姐
夜の服小姐(と安天栄老師)


ぼくは普段、酒を飲まない人(飲むと頭が痛くなる&味も好きじゃない)だが、ビールしかなくて、服務員的小姐がついでくれたので少し飲む「ぷはぁー、ヌルイ(^-^;」(毎度の事じゃ)
最初はおとなしくモグモグしていた我々も、だんだんといつものペースになり、今回最年少隊員Sくん(自称22才ぷーだが、高校生でも通用する風貌である)が「引手の時って、こうですよね」とか言って通背引手を始めた。すると自称「オレは老師じゃない」王さんが、「オイオイ、引手はなぁー。こうだよ。こう!」と手本を見せ、話しに入ってきた。さらにもう一人の一見ぱんぴぃなオジサンも「こうだだだっ!」と加わってくる。ぉおお!早速、民間通背交流だだだっ!
話しが通背に及んだ事で、俄然盛り上がる我々。さらに摔や拍をして、またアドバイスを嬉しそうに受けるS隊員。結構直されてるな(^-^;でも、なかなか、良い感じじゃん、良い感じじゃ~ん(^-^)
「次は何したら良いっすかね?」とまたも嬉しそうなS隊員。
「『通背の母』伸肩法、見てもらえば?」と言うとS隊員は張り切って伸肩法を始めた。
が、それを見た瞬間「オレは老師じゃない」王さんともう一人の一見ぱんぴぃなオジサンは、にわかに険しい顔つきになると、二人で向き合って深刻そうに話しを始めた。
突然の事態に「えっ?えっ?いったいなに?ぼくなにか悪い事した?」と訳の分からないSくんは伸肩法で立ったまま放置され、さっきまでの「明るく楽しい通背拳講座」が一転し、とても気まずい雰囲気に・・・。
だが、ぼくを含む数名の隊員には、この状況に覚えがあった。
そう、これは正しく二年前の、しかも大連での「あの時」と同じである。「あの人」に伸肩法を見せた「あの時」と・・・。

「第二章 伸肩法の謎」に続く

語句解説


○修剣痴
近代通背拳の大功労者。大連ではスペシャル有名人。「剣痴」って変な名前は、本当は「建池」だったのを、剣がちょ~好きで好きでたまらなかったので、同じ発音の「剣痴(剣キチ位の意味)」に自らしてしまったのであった。

○通背デカ
通背使いの警官で、かなり強いという噂。通背使って犯人逮捕とかしているのだろうか?いろいろ聞きたい事もあったけど、結局、今回は会えませんでした(残念)

○「オレは老師じゃない」
結構気軽に「老師」と呼ぶと「いやいや、オレは老師なんて身分じゃないよ~」と言われる事が多々ある。ぼくらが思っているより、もっと重い言葉なのだろうか?

○王さん
常松師父の兄弟子故「陳功年」師伯の弟子。現在来日中の張安福師兄の兄弟子。散手比賽、表演比賽共に良い成績をおさめている。身体がでかくて、見た目結構コワイ(^-^;
今回「王師兄」と呼ばせて貰う事で納得して頂いた。

○通背海の家(建設中)
完成した暁には素晴らしいモノになるであろう建物。屋内練功場、屋外練功場、宿泊施設、食堂、書道練功(?)場などなどがある。しかし、いかんせん建設中であるため、結構まいりました。水道使えなくて井戸水(茶色だよん>水)だったり、水洗厠所に水が無かったり。

○夜の服
袖とか肩あたりが透けてて、ちょっち「せくしー」な黒の服。ちなみに真っ昼間でも同系統の服を着ていたため「昼間なのに『夜の服』を着ている」と隊員間で話題になった。

○引手
通背拳の構え。「さぁ、いくぜぜぜっ!」って時とかに使う。日本人通背拳修行者の間では「いんしゅ」と発音されている。

○摔、拍
通背拳の基本技法「五行掌」の中の招法。

○伸肩法
通背拳の最重要基本功なのだだだっ!
全ての招法に通じる練功法であるが故に「通背之母」、「万法之母」と称される。でも、伝人によって微妙に(かなりか?)異なる。今回の探険では伸肩法絡みでいろいろあったのだ。

○通背拳
通背拳は歴史が古く、結構分派が多い。
ここで言う「通背拳」とは特にことわりがない限り、修剣痴祖師爺が伝えた祁氏通背拳小架式(五行通背拳)の事です。

1997.09.11 民間武術探検隊 わたる

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