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母親から受け取ったミーム

あけましておめでとうございます。

今年のお正月は、先日父親がGETした軽井沢の別荘にて。
この別荘について経緯を話すと大分長くなってしまうのですが、この場にまとめておきます。

あまり大っぴらにしていないのですが、2018年の1月に母親が逝去しました。68歳でした。

FB上には高校時代の友人を始め、直接母親のことを知っている人間もたくさんいるのですが、ちゃんとご報告せずにごめんなさい。

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2017年の秋にステージ4の肺がんであることがわかり、「手術や治療に耐えられる体力はない」と医者が判断し、延命治療はせずに最後まで好きに暮らす道を本人も希望したため、国立市にある実家で父親と暮らしていました。僕も、週に2-3回は、母親からリクエストのあった、「死ぬまでにもう一回食べたいもの」を携えて、実家に戻っていました。

ごく普通のことに聞こえますが、生あるうちに自分の死を受け入れ、尚ポジティブに余生を過ごしたことは、すごいことだと思っています。


母は、亡くなる前日まで寝たきりの状態で"いいちこ"をストローで飲み、僕か父が口元にもっていくタバコを吸っていました。ロックです。非常にロックでした。


思い返してみると、僕の人格は、両親の影響をもろに受けています。

父親からは、自由と、思考の深さと、フラットさを。
ギリシャ古典学とラテン語の教授でしたので、すげー思考の幅というか尺度が大きい人でした。曰く「人間に大切なのは、哲学と体育と音楽。あとはあんまり大事じゃない。そんなことは古代ギリシャ時代から変わらない。」っていうくらいざっくりしていたので、僕の成績がどうだろうが、どんな部活をやろうが、どんな仕事に就いてどこに住もうそれ自体にはあまり興味はなく、「なんでその道を選んだのか?」「それは楽しいのか?」ってことにしか興味がなかったように思います。

母親からは、感情で決めて、ロジックで行動する姿を。
すげーわがままっていうか、自分のやりたいこと、やりたくないことをはっきり言う人でした。「あんたの人生はあんたのもんであって、私はちっとも関係ないわけで好きにしたらいいし、私は私で好きにやるわ。」と、いつもきっぱり言っていました。で、やると決めたら徹底的に合理的にやる。絶対失敗しない。

両親どちらも、親と子の関係ではなく、努めて「良き友人、良き隣人」として接してくれていたように思います。記憶の限り、何かを頭ごなしに怒られたこと、及び強要されたことはありません。どこまでもフラットで、対等な関係性を大事にしてくれたように思います。

・トランプで負けると、きっちり取り立てらえる
・土日は母親業も休みなので、家事は全員で分担する
・テストで満点じゃないと、「そんなことも知らねーのかww」と普通にバカにされる。頭を下げて頼まないと正解を教えてくれない。
・学園祭の打ち上げで遊んで家に帰ると、「なんで家にそのまま連れてこないの!一緒に打ち上げたいのに!!」と母親にガチで怒られる(これが唯一怒られた経験かもw)

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これは、両親の一面、ごく一部分なわけですが、これを紹介したのは、「僕の母親がどんな人だったのか」ってこと、そして「僕の人格の一部は彼女で構成されている」ってことを知っておいて欲しかったからです。

僕は遺伝子(=DNA)よりも、自分の「社会的、思想的な」複製を残す模倣子(=MEME、ミーム)の方を、より大事にしています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%A0
ミームは、遺伝子に比べ、非独占的で、双方向で、(年齢的な意味において)可逆的で、スケーラビリティが高いと考えています。

ミームを大切にするためには、「自分が誰から何を受け取っているのか」を明らかにすることが有効なのではないかと考えています。それがあれば、僕から何かを受け取った人が、「これは、連綿と続くミームなのだ」と感じる機会が増えることでしょう。

僕はこれからも、いずれ自分から何かを受け取ってくれる人が現れることを祈りつつ、日々を生きて行くのだと思います。Give & Give。

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そんな風にして母親が亡くなりまして、「お墓をどうしようか?」という段になりました。安西家の墓は父親の故郷である香川県坂出市にあり、そこに納骨しないことには「長男としてどうなの?」って話になってしまいます。がしかし、父が「母ちゃんは四国なんかに埋葬して欲しくないはず。誰も知っている人いないし、うどんも特に好きじゃないし。」という明解かつ簡潔な理由で反対。

では分骨しかあるまい。

というわけで、半分は坂出市に埋葬したとして、残った分をどうするか。
今更東京で新しくお墓を立てようとすると、すごい僻地になるか立体駐車場みたいなお墓になってしまうので、それもどうかねぇと父親と二人で試案していたところ、どうやら「散骨」という方法があると。それなら、墓地でなくとも埋葬できるみたい。

「んじゃぁ、母ちゃんの好きだった軽井沢に別荘でも買って、庭に母ちゃんが好きだったリンゴの木でも植えて、そこに散骨しよう!」という父親の一声で、軽井沢に別荘を持つことに決まりました。

このやり取りまでは、僕は僕自身の無鉄砲で面白そうなことは何でもやってしまう特性は、100%母親の影響だと思っていました。
でも、父親も立派に「わけわかんないことに情熱を燃やして、やっちゃう人」「こころの声に従っちゃう人」ってことがわかりました。

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別荘自体は広くはありませんが、バーベキューも出来て、最高のお風呂もあって、夏の避暑地には最高の場所になりそうです。

母親は、みんなでわいわいするのが大好きな人でした。
毎年いろんな友人を呼んで、わいわいしたいです。

夏になったらみんなで行きましょう。


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