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積極的に努力しているのは意識低い系だった

『いまの自分より成長したいなら、コンフォートゾーンの外に出ましょう』

どこかしらでこんなセリフ聞いたことありませんか?

ぼくはこの言葉にめちゃくちゃ違和感を持ってました。

コンフォートゾーンとは、ストレスのない居心地の良い環境や精神状態のこと。

え、つまり、

成長を求めるなら、自分にとって快適な環境って一生来ないってこと?
快適になるのは成長を止めたときってめっちゃネガティブじゃん…

こんなことを感じていました。

人によっては、

「なんでわざわざ自分にとってストレスになる環境にいかなきゃいけないん?」
「ストレスのない居心地の良い環境や精神状態ってベストじゃね?」

って思う人もいるはずです。

こんな背景もあってか「努力する人=意識高い系」なんて揶揄されることも。

ですが、今回ぼくのなかで、努力しているのは実は意識低い系なのでは?という結論にいたりました。

きっかけは、Voucyでなにおれさんの「コンフォートゾーンは出なくていい
」という放送を聴いたことです。

ぜひ聴いてみてください。

では、なにおれさんの主張を交えつつ、ぼくの考えたことを書いていきます。

コンフォートゾーンは勝手に動いている

なにおれさんの放送を端的にまとめると、次の2つです。

「コンフォートゾーンはネガティブなものではない」
「自分が何か新しいことに挑戦しようとするのは、既にコンフォートゾーンからズレているから」

転職を例に挙げており

①転職をしたほうが自分は幸せになれると感じた
②転職活動を始めた
③転職をした

つまり、①のいまの環境を変えれば自分はもっと幸せになれる、もしくは、いまの環境を変えなければ自分は幸せになれない。

この状態で既にコンフォートゾーンからズレているということ。

転職はコンフォートゾーンを出る行動と思われがちですが、実は移動してしまったコンフォートゾーンに再び戻るための行動だったんです。

人は同じように生活していても、外部環境が勝手に変わるので、ずっと同じ状態ではいられません。

例えば、

・子どもが成長して支出が増える
・インフレが加速して預金の価値が下がる
・上司が変わって職場環境が変わる
・テクノロジーの進化で業務内容が変わる
・ケガや病気でこれまでと同じ生活ができなくなる

などなど

環境が変われば必要なモノも変わりますし、自分の価値観も変化します。

つまり、これまで快適だったコンフォートゾーン自体が勝手に移動して、自分の居心地が悪くなっているんです。

自分の中でのコンフォートゾーンの定義が変わったとも言えますね。

昔の友人関係の居心地が悪くなったみたいなものも、まさにコレ。

努力は自分を快適にするためのもの

努力の定義を「コンフォートゾーンから出ること」ではなく「コンフォートゾーンに入ること」と考えれば、いろんな認識が変わるはず。

「ストレス環境に身を置いて自分を成長させましょう」なんて言っても、わざわざそんな環境に行きたくないという人も多いですよね。

でも「自分がもっと快適に過ごすために頑張りましょう」であれば頑張れる人も増えるかも。

ぼくも背水の陣的な考えは好きじゃありません。

そもそも心と体が安全な環境のほうがパフォーマンス高いですし。

タイトルはちょっと煽ってる感出ちゃってますが、

「快適で意識低く生活するために一生懸命頑張る」という逆説的な考えもあながち間違えではないかと笑。

むしろズレてしまったコンフォートゾーンを追わずに、キツい環境に居続けることのほうが意識高い系なのかもしれませんね。

まぁコンフォートゾーンの捉え方が変わったとしても、継続して努力することに変わりないのですが、よりポジティブに捉えられるかなと思って書きました!

ではでは。


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