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書を捨て、街へ行こう。

ある本にこんな事が書いてあった。

『書を捨て、街に出よ。森羅万象が師である。』
『街に出てアンテナを立てろ。本以上に学びがある』


「へぇ~、そうなんだ~。」
じゃあ、さっそく出てみますか?と軽いノリで街へ出てみた。
「学べるものはないか?」と彷徨っていたらあった。
意外ほど、身近なところにあるじゃないか。

寄席だ。

どこの都市にも一つや二つ存在している。
東京なら鈴本・末廣亭。
名古屋なら大須。
大阪なら繫昌亭などが有名だ。

僕が見たのは落語だ。
おそらく前座の方の落語である。

出囃子がトントン!トトン!と鳴り、
ブゥーン!ガシャン!と緞帳が上がる。

舞台に照明がパッと点き、下手から演者が
笑顔で登場する。

そして渾身のネタを披露し、観客へ“笑い”という“商品”をこれでもか、これでもかとマシンガンの様に浴びせる。
そして「お後がよろしいようで…」と頭を
下げ、さっそうと舞台を下りる。

心が震えた。

「なんてカッコいいんだ」

「これこそ、話し方の極意だ」

「でも、なぜ、こんなにも人を笑わせる事が出来るのかなぁ〜?」と疑問に思った。

舞台が終わった、外でファンサービスしている噺家さんに質問してみた。

「僕も話す事が仕事なんですが、どうしてネタが飛ばないんですか?」

噺家「それはですね、ネタ全部、音にして頭に映像が浮かぶように稽古してるからだよ」
「文章で覚えると頭が真っ白になる。セリフが飛ぶいうこと」
「でも、セリフは音で覚えて、しかも自分の頭に映像があってそれを見ながら話すから、飛ばんねん。」

「そうやってあんなに長いセリフを稽古してたんですね。」
「話しが上手くなるためにされていることありますか?」

噺家「2つあって、1つは稽古の量、とにかく沢山練習する。もう一つは日常から調子を気にしてる。」

「調子ですか?」

噺家「うん、噺が上手い下手の違いは“調子”の違い。調子って、間とか抑揚、しぐさや所作、声の質とかのことね。」
「同じ噺だったとしても、調子で客に与える印象がメチャクチャ変わるわぁ」
「だから、日常から調子を良くするために、感じた事や観たもの、触れたものを人にいかに面白く伝えるか?をしてるなぁ〜」

「日常に誰かに話す事が大切なんですね」

噺家「でも、兄さんも十分上手いでぇ、初めてそんな質問されたわぁ〜。」
「質問するのが1番難いねん。」
「兄さんも落語家にどないや?(笑)」

僕は話す技術にアンテナが立っていた。

話し方の技術をあげたいのであれば“調子”を良くする。
そして『日常が大切』であるという書籍以外からの大きな学びだ。

書を捨て、街に出よう。森羅万象が師である。

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