2021.04.29 人類皆平等、上等。

23時頃、私としては早い時間に寝落ちして、3時半に目が覚めた。

それから眠気がどこかに行ってしまったようなので、とりあえず今は朝の5時。

初めて書く時間帯なのでまた何か新しい発見などあればと思っている次第だ。

ふと頭の中を鑑みる。


相手にとって悪気はないのだが、自分は聞かれて嫌だと感じることがある。


自分にとって、それは年齢だ。


もちろん相手との関係性やその場の流れで聞かれるのはわかるし、そこから経験年数などを測りたい気持ちもわかる。

ただ、聞き方には気を付けるべき話題だとも思っている。


ちなみに自分は相手に年齢を聞くことは絶対にない。聞いても学生に何年生だっけ?までである。


いつからそうなったのか考えてみると、ワーホリに行っている間、もしくははっきりと認識したのは帰ってきてからだと感じている。


英語圏の文化では、基本的に年齢を聞くことは失礼とされている。(日本でもそうだと自分は思っているが)はっきりとした理由はわからないが、自分が思うに、年齢が理由で何か自分の関わり方を変えるということは無いからだと思っている。


ワーホリに行くと、多かれ少なかれ同じ日本人の方にも出会う。自分のような大学を休学していった20代前半もいれば、仕事を一旦辞めて来た20代半ばや後半の方もいたり、とにかくいろいろな方がいる。

年齢を聞かれた記憶は少ないが、聞かれた時は少なからず嫌な気持ちになったことは覚えている。


自分の何故は極めてシンプルで、年齢が理由で態度を変えることはしたくないから。人対人の関係性がより重要で、年が上とか下とかはそこまで重要ではない。初対面であれば基本的に敬語を使うし、会話をしながら砕けた話し方をすることもあるので、特に知らなくても問題はない。


話はそれるが、人を好きになるということもそうだ。

もちろん外見が綺麗だとかかっこいいだとかも要素かと思うが、結局その人がどんな考え方や話し方をしているか、日頃どんな行動をしているかというような中身が一番大切だと思っている。

自分の場合はその中でも笑いのツボというのはめちゃくちゃ大切にしていて、どんなポイントで笑うのか、言語化はできないまでもなんとなく数分話した初対面の人のツボが感覚的に分かることが多い。


LGBTQなど色々な多様性が認められている昨今、誤解を招く可能性があることも承知で脳内を曝け出してみる。

自分は同性の友人に対しても使われる「好き」と、恋愛的な「好き」の区別が実はあまりない。

博愛主義と呼ばれるらしい。

それを理解しないまま、友人としての「好き」を恋愛的な「好き」と勘違いして付き合ったときは、やはり長く続かなかった。(異性とです。)

もちろん失礼のないようにという意味で相手との関わり方は変わるが、自分の基本的なスタイルは一貫している。相手を否定しない、笑いをとる、穏やかなど。


男性とか女性とか、年齢が上とか下とか、自分にとっては些細なこと。


では逆になぜ聞かれるのかを、以前にも考えてみたことがある。


当時は初対面の方に聞かれることが多かったので、共通項などを探すことで安心したいのかなと思っていた。


世代が近いとわかると、同じようなものを見て育ってきていると考えられる。あの時流行ったオレンジレンジとかGReeeeNとか、ごくせんとかRookiesとか。きっと今流行りのことも共有できることが多いんだろう。


それに気づいたときはなるほどなーと思ったんだよな。

でも逆にそれが無くてもすぐに別で共通項を見つけられる自分は最高だとも思った。うん、やはり。さすが私である。


英会話の(特にレッスンの)中で、Follow-Up Questionというものがある。

一つのお題について話し始めた際に、相手にその後質問をして会話を広げるというものだ。

Where did you go?とか、What did you do there?とか。

基本的な表現を使えばできるので、初心者の方でもこれが上級者より上手なケースも多い。英語の知識というよりは、会話のスキルである。

これを自分は教える立場なわけで。なんなら超初心者で英語が嫌い、怖いという方に対してもこれをして会話を続ける、ということを数年間行っているので、まぁ職業柄当然と言えば当然だと思う。むしろ出来ていなきゃおかしいレベル。


そこまで考えるとむしろ年齢を聞くということも、かわいらしく思えたんだよな。共通項を探そうとしている、ただそれだけのこと。


年齢が下だとわかったとたんに急に態度を変えるような人であればもうこちらから願い下げだが、そういった方と関わる機会はありがたいことにこれまでの人生そこまでなかったので、きっとこれからもそんなに会わないんだと思う。


うん、改めてスッキリ。


あと2点、書きながら触れたいことがあるのでそれだけ書いたら終わろうと思う。


一つは「好き」ということについて。


これまた最近よく出てくる友人とのやり取りからのネタ。

媚びているわけではないです。


noteを読んで始めることに興味をもってくれた友人からDMで、


ノートっていいねとか付くん?

いいねじゃなくてスキだった

直感的でちょっと照れる

けどスキした


これに対して私が、


なにそのYUIみたいな甘酸っぱい日本語

今度それ書くわ笑


とコメントしたのは4/9のことだった。20日越しに完了。

秒でこのようなツッコミが出るのはやはり天才か。

さすが私である。さすわた。


そしてその時に

ついったーのふぁぼが「いいね」になったことも含めて書いてほしい

と来ていたのでそれも書いてみたいと思う。


まずいつからなったのか、また公式がどうはっぴょうしているのかは調べていないのでわからないが、たしか元々は「お気に入り」という文言だったはず。


まずはこのお気に入りという言葉をどんな時に使うのかから考えてみた。


お気に入りのコレクションがあって~、最近気に入っているお店があって~、あの店員さんお気に入りなんだよね~、お気に入りのキャラクター、とかかな。


お気に入りがゲシュタルト崩壊してしまう前に止めておく。


自分が上記から感じた印象は、お気に入りとは「『選ぶ側』の立場の人が使う表現」というものだった。


それをTwitterに当てはめると、投稿を見たフォロワーが、そのツイートを選ぶ。ある種評価するようなものとも取れる。ツイートを「お気に入り」するとは、自分のツイートコレクションを増やすようなものだろうか。

承認欲求を満たすという視点でSNSを捉えたときに、これはある意味最強にそれを満たす文言じゃないかとさえ思う。


ではなぜ「いいね」に変わったのか。


「お気に入り」を一言で表すのが「評価」とするのであれば、

「いいね」は「共感」だ。


「評価」という0からの+を求めていた時代から、

「共感」という-からの+を求める時代になったということか。

というよりはスマホの普及がさらに拡大し、ユーザーの幅も増えたことで評価よりも共感の方がより多くの人が求めるようになったということか。

上では話を単純化するために0からの+とか、-からの+とか書いたが、別にスタート地点は必ずしも0であるわけでも-であるわけでもない。


皆多様性の時代に生きていて、すでに社会的に認められている人もより認められようとする、今は苦しんでいる人も救いを求めて、もしくは一獲千金のバズを求めて何かを発信している、というようなところだろうか。


ああ、この話、こないだ読んだ「『何者』かになりたい」にも通ずるところがある気がする。

これはまた次の機会にするとして。よし、これでもう一つ未完了の完了。


残り一つはむしろこれだけで1記事書けそうな話題だけど。


先ほど自分は博愛主義だと言った。これは誕生日の性格占いで出た。

ネットにはたくさんサイトがあるので、いくつか見ると共通点が出てきて面白い。

ちなみに私は2月3日生まれ。節分マンである。


また一つ個人情報を晒したところで、もちろんそれが書きたいわけではなく。


占いと自己啓発は本質的には同じ。

これについて自分の論を展開したい。




が、もう気が付くと3,000字を超え、時間も1時間以上経っていて疲れたので、これはまた次の機会に書くことする。



GW休み初日、思いがけない始まりである。


密かにこのGW期間に、興味があったヴィーガン生活にトライしてみようと思っている。何日続くか自信がないが、とりあえずやってみる。


昨夜食べ納めにと食べた辛ラーメンで私の胃腸はまだ重いので、少し外を歩いて来ようと思う。


昔は辛い物ダメだったのに、最近はむしろ好んで食べていることもいつか書きたい。


空が明るいなぁ。。。現在6時半。


良い休みになりそうだ。


ではまた!

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