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バッテリーのヘタッたiPhoneみたいにね

車の調子が優れないので懇意にしている修理工場に持っていくと、いつもと様子が違う。裏の駐車スペースがキレイになっている。
聞けばストックしていた車両を順次廃棄処分しているという。現在、車メーカーとしては存在していないSAABの専門修理店として頼られる存在であり、クラシックと呼ばれる車体、特に1990年前後を中心に所狭しと並んでいる様はなかなか見事。廃車すんでの個体でも、部品取りして流用するために数多くストックされ、また流れ着くように個体が集まる場所でもある。
ところが、の廃棄処分。
90年代後半になるとコンピュータ制御の車両が増え、盗難防止用にコードが書かれているため部品の流用も難しいとのこと。リセットすれば問題は減る。ところがコンピュータが壊れてやってくるからリセットしようにも手が付けられず、結果流用できない場合が多い。なんだか勿体無い話。
コンピュータ制御の功罪があるとすれば圧倒的に功が多いのだろうけれど。集中ロックが働かなくたって、パワーウィンドウが下がらなくなったって、それでも御構いなしにただただ走ってくれる。そんなアナログの良さにも惹かれるわけです。

そして話はハイブリッド、電気自動車へ。車検を2回も通す頃にはバッテリーユニットがヘタって燃費効率は低下する。バッテリーユニットを交換しようとすると、新しいのが買えるぐらいの金額になってしまう。問題はバッテリーだけに止まらない。オペレーションは日々アップデートされ、必要とされる処理能力はその都度増えるため、古くなったコンピュータでは処理しきれなくなる(結果、ディーラーは新しい車体への買い替えを促すし、断る理由が見つけにくくなる)。

どんなに躯体が問題なくデザイン的に気に入っていたとしても、買い換える、もしくはアップデートしないことによるリスクを背負いながら乗る(なんてことが車、という存在で許されるのかは疑問)。こうして選択肢はかぎられてくる。

自分は新しい機種に変え、子供に与えたiPhone、それすらも使えなくなる。

そんな現象に近い気がした。勿体無い。バッテリーがヘタる度に車を買い替えねばならないなんて。コンピュータの基本設計を変えないとか、バッテリーユニットは手ごろに交換できるとか、そういうことがこれからの車に求められるようになるのかな。何より、代替わりするたびに自分が気に入ったデザインが出てくれるわけでもない。車のデザインは買い替えを促すために、デザインの良し悪しとは別に一定の制約をクリアしたものを次次に生み出すと聞いたことがある。目新しさを求めているわけではないのだけど。ポルシェのSingerみたいな存在、SAABにも欲しい。

ありがたくいただき、世界のどこかにタネを撒こうと思います。