初代はもっと巨悪で、潰されない。そこが危険なとこ。

“牧太郎の青い空白い雲:/575 “超銭ゲバ”舛添は「石原慎太郎閣下」を真似しただけ? - 毎日新聞”

http://mainichi.jp/sunday/articles/20160613/org/00m/070/002000d

“舛添より酷かった石原慎太郎都知事時代の贅沢三昧、登庁も週3日! それでも石原が批判されなかった理由 - BIGLOBEニュース”

http://news.biglobe.ne.jp/domestic/0509/ltr_160509_7456204490.html

“舛添の美術館視察を批判した石原伸晃よ、父・慎太郎が四男の美術事業に血税5億円をつぎ込んだのを忘れたか|LITERA/リテラ”

http://lite-ra.com/i/2016/05/post-2279-entry.html


某知事問題で、巨悪は潰されることなく小悪は潰されるのだ、、、と。某巨悪の4選目の選挙の時に野党は必死に追求して、流石の巨悪も図星過ぎて神妙にしつつ、当選したら流石にコロッと今迄の態度に変わったのを覚えてます。特にこの人からですよね。都知事が国を超えようとしたり、特権意識丸出しになったのって。

初代は暴走で無双でも、セコいモノマネ3代目は一切許されないみたいな。

初代は尖閣問題でも、文字通り炎上して、誰の目から見ても、被害も相当に見えたような、、、。

3代目は、初代とは色々と違う状況で、悪い真似だけしたら、物凄い叩かれちゃったみたいな。

法的に問題ないと言ってた時は、本人も本気で問題ないと思ってる感じが伝わってきましたけどね。

巨悪とはスケールが違うから、その後本人も思わぬ展開になったような感じがします。

だいたい、あまりに度がすぎると、なんかよく訳わからなくなるのが普通の感覚な面もあるのかなと思います。

セコいくらいだとよく分かるんですけどね。

これは、話の次元がさらに悪質なまでに違いますけど、ヒトラーの時代のドイツ人も、まさか本当にそんな酷いことをやってるとは思わなかった、、、という人も多々いたそうですし。

スケールがあまりに大きくなると、なんか実感として分からなくなっちゃうし、まさかそこまで、、、と思っちゃうという庶民の盲点を突くのは、ある意味巨悪ですよね。

個人の常識的な感覚の範囲外のスケールで、大きな被害が出ることを避けるべきは、憲法改正の話もある今の日本にとっても無関係な話ではないかなと思います。

あまりに大きな言動をすると、庶民の感覚の外である種の無防備でいられる面があると思うんですよね。

そして、そういう奴らがいつの間にか、権力を牛耳って、実行に移すみたいな怖さは、まだ拭えないかなと。



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