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渡鬼が好き

渡鬼が好き
好きというか、見たら止まらない。
止まらないから引き込まれて気付いたら自分自身が五月になってしまうので、大分3時間を超えたあたりで具合が悪くなる(強いて言うなら五月が一番姉妹の中で自己投影できるから)。

平成生まれ、会社員、幼少期 母親が木曜日の夜に毎週見るので金八先生も渡鬼も同じように見てきた。

今ではU-NEXT(過去はパラビ)で母親と見るか、一人で視聴しては具合が少し悪くなるまでみてしまう。

なんでこんなにも渡鬼は面白いんだろう。。
家庭ヒューマンドラマとしてまず面白い。
つっこめばキリがない現実とかけ離れた演出、そして陸続きにある嫁姑の確執。
このドラマのリアルな味って、100%嘘の話じゃない、ほぼほぼありえないんだけど各所にある身内内の問題がどうもいい味出してる気がする。

・ありえないと思った場面
->婚約破棄した相手の母親と同居し続ける
->息子と離婚した義理の娘と同居し続ける、息子は勿論フェードアウト
->天井の水漏れ被害に遭った際、水道工事人に感銘を受け高校進学を蹴り水道工事人への道へ
->しかもその職業斡旋をなかなか遠縁にあたる爺さんが勝手にしてしまう
->ラーメン屋の売上をネコババした従業員を、懲りもせずに雇い続ける
->脱サラして始めた小料理屋から、何を学ぶつもりか訳知らないが弟子が簡単につく
これ以上は、ただ私が渡鬼の好きなところを羅列してしまうので割愛

実際に私の母親も相当姑には嫌な思いをしている。世間もこんなもんか、クソババア。と眞に肩寄せてしまうのも頷ける。

加えて長台詞、橋田作品独特の言い回し、その違和感が段々と病みつきになる。多分、水戸黄門とか寅さんに求める「お約束」が渡鬼にもあって、絶対にこのあとはどうせ○○になるんだろうな…やっぱり‼️というこの待ってました感、病みつきである。

また、基本的に出てくる人物のほとんどが単純なので あんなに長尺で嫌なやつだったのに、記念日にちょっとしたプレゼントをあげるだけで全てをリセットしたかのように善人に変わってしまう。その後100%の確率でまた嫌なやつに戻ってしまうのに 見ている私たちも渡鬼脳なので時たましっかりウルっときてしまう。ここも家庭ヒューマンドラマとして、私が渡鬼を好きな理由。

受験、就職試験で五月の誕生日を忘れていた愛や眞(過去はちゃんとあげていた)、そしてちゃーんと覚えていた加津。 加津がこっそり五月に腕時計をプレゼントし、ささやかながらもケーキを夫婦で囲みながら五月の誕生日を祝うシーンにはこちらもジーンときてしまった。

さて渡鬼脳と申し上げたが、こちらは皆の衆もそうなるのだろうか。渡鬼を見ているのが母と私のみなので、いかんせん主語に困る。渡鬼に出てる人物がほぼ単純な脳みそで出来ているなら、見ているこちらも単純な脳みその方がストレートに楽しめる。矛盾点、ありえないだろ、を大真面目に指摘していたら渡鬼なんて見ていられないから。

数年前にLINEのオープンチャットなるものがリリースされたというので嬉々として「渡鬼ルーム」をこしらえたが、これがだーれも入らない。 母親の教育がなってないんだろうか。
渡鬼ファンはどこにいるの? 同年代はもちろん、母親以外に同じ熱感で話せる同士がなかなか見つからない。

このnoteを綴ることで一人でも渡鬼ウォッチャーが増えること、今いる渡鬼ウォッチャーのあなたが共感してくれることを、切に願います。

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