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「好き」を知りたい

私は自分の中にある「好き」を知りたいから写真を撮っている。カメラを構えシャッターを切り写真を撮り重ね、それらを振り返ることで自分の好きが見えてくると思ったからだ。

写真を誰かに見せることで、自分の好きが誰かの好きと重なる部分がわかるかもしれないとも思った。
仕事や日常生活で自発的な行動を求められたが、何を自発的にしてくれたら嬉しいのかを汲み取ることができないことが多く、よく困らせていた。だから少しでも誰かの好きを知りたかったのである。
知れたら誰かを困らせずに済むかもと。

カメラやレンズなど機材をどれだけ買ったか、展示にどれだけの手間をかけたか、写真への愛を形にしてわかりやすく示すことからも降りたかった。写真はなぜか比べられやすい。特にポートレートは撮られる側も撮る側も値踏み比較され地獄だ。
……完全に降りることはできないが、自分の好きという主軸があれば、多少はどうでもいいと感じられるようになるかもしれない。

皆好きを全面に押して作品を世に出す様子を見て、明確な好き、または強固な仮説がなければ好きは撮れないと思っていたこともあった。そんな時『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』で主人公ヴァイオレットが発した『「愛してる」を知りたいのです』というセリフを耳にした。

ヴァイオレットは自動手記人形と呼ばれる代筆業に就くことを志していたが、人の気持ちを汲むこと、それを言葉に表するという代筆業に求められることができなかった。その高すぎる壁を前にしても、かつて戦場で生き別れた知人から言われた「愛してる」の意味が知りたい、という気持ちを強く持ち挫けず前に進もうとするヴァイオレットの姿に勇気もらった。

そもそも『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は感情を持たない少女が愛を知るまでを描いた物語という話を聞いて、コミュニケーションが苦手な私が克服するヒントがあるかもと視聴をはじめた。
TVシリーズそして劇場版までみ終えた今もコミュニケーションは相変わらず苦手だが、すでにあるものを撮るのではなく、撮る中で手に入れてもいいという示唆をもらったので観て良かった。

「好き」がわかるまで、私は撮り続ける。

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