今年の抱負

令和4年、2022年の1月1日である。
ここ、noteのアカウントは持ちながら、公開してあるのは1本だけで、下書きに5本。まあ、誰も見てない隠れ家みたいな存在かもしれない。だからこそ、居心地が良い。
SNSのアカウントは、ツイッター、フェイスブック、インスタグラムと使っていて、ブログは「はてな」。自分の中では、その一段上に、というか最後にnoteがある。はてなブログでさえも、ほとんど更新してないのに、noteで何を書くの? と、一本書いて放置していた。
さあ、今年は、ここをメインに使っていくぞ。

とりあえず、寅年生まれで今年還暦となる。還暦だ。赤いちゃんちゃんこ着て「〇〇中学同窓会」なんつって、写真を新聞に上げたりする、爺様臭いあれだ。

ところで、パンデミックのこの2年で、私の趣味が激変した。
私は元来、家にいることは少なく、外にいる人だった。いわゆるアウトドア派である。小学生時代のボーイスカウトでキャンプデビュー。今のキャンプブームが甘っちょろく感じる、昔のワイルドなボーイスカウトのキャンプである。便所は土に穴掘って、しかも共有、みたいな、今では考えられないキャンプで鍛えられた。
その後、山岳部からワンダーフォーゲル部と学生時代を過ごし、パンデミック前までは、それなりにロングライドもしていたし、雪山でのバックカントリースキーもやっていた。ネットの時代だから、自分のアクティビティがどんなものかということは、全てが比較対象して判断できるので、客観的に見れば、自分で「やっている」と思うほどには「何もしてないじゃないか」みたいな判断になるレベルではある。

パンデミックだけが理由でもないが、そんな趣味がこの2年で変わってしまった。いわゆる、「新しい生活様式」を、半強制的な「自粛」によって取り入れることで、インドア派にアップデートされてしまった。そこに来て、このパンデミックの中で元気だった母親が、いきなり末期がんで旅立ってしまった。

母と二人暮らしだったので、家に「ただいま」と帰れば、「おかえり」と返す母がいたのに、その存在が、いわば突然消えた。この正月は、そういう意味で、初めて迎えるお一人様の正月なのである。とうぜん、「めでたい」わけはなく、家に引きこもっていても、ガチャガチャと煩く正月気分をもり立てるテレビなどは見ない。いや、正確にいうと、1月1日のここ(正午)までは、4時間はテレビを見ていた。

最初は、録画していた「河瀨直美がみつめたオリンピック」(NHKBSスペシャツ2021年12月26日)を見ていて、その後は日曜美術館の特番を見ていた。
どちらも、いわゆる正月気分には程遠く、私向きであった。ちなみに、大晦日はNHKEテレで、第九とクラシック名演のオムニバスを見ていた。テレビ鑑賞は、充実している。

話は少し戻り、家に帰った来た時に、母じゃなくても良いのだけど、誰もいないというのは、なんだか外に出るモチベーションを失わせる。突き詰めて考えると、それは「家に縛られている」という感覚になる。

私は、建築大工として30年ちょっとのキャリアを積み、我が家は自分の手で建てるという、大工を志した時の目標を、10年前、2011年、震災の年に成し遂げた。その時は、父親も生きていたし、もちろん母親も新しい店で、新しい笑顔で仕事していたし、つまり、ここまでの10年は、家族の思い出とともに、この家で過ごした10年だった。新しい家を作り、たったの10年で一人暮らしになるとは、本当に思いもしなかった。そして、この10年。休みの度に、あちこちに遊びに出ていた我が身の身勝手さを振り返るのである。
ああ、もう少し、家族といっしょの時間を持って、親孝行しておくべきだったと。
後悔先に立たず、である。

しかし、母が死に面していた8月の上旬に、母親や兄弟などと、かなり深い話をする中で、せっかく作った店舗スペースは、有意義に活用し、ここからまた、新しい出会いが作れるようにしようという方向性で、固まってきた。

2022年。この家の、新しい価値を創造していくことが、ミッションのひとつとなる。それは、ウィズコロナになるのかもしれないが、けっこうワクワクする。

これまでだと、アウトドア系の目標みたいなものがあったが、正直言って、そちらはそこそこで良いかと思う自分がいる。しばらく山とも離れていて、これは、本格的に再開し出すと、勝手に血が動き出すので、その後どうなるのか、なんとも言えないが。血が騒ぐというのは、中学とか高校時代からなので、たぶん、死ぬまで続くのだろう。ある意味では、それが性分、天性というものであろうか。

てなわけで、とりあえず2022年の1本目のnoteを終える。

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