「現実の答えのない謎」に疲れ、「答えの存在する謎解き」に救われた話

この文章は『あなたは謎が好きですか? Advent Calender 2019』に寄せたものです。

初めましての方は初めまして、渡鳥(@aki_watadori)といいます。
最寄りのアジトは仙台アジト、そこまで移動するのに数時間かかる距離に住む地方民です。
研究者の見習いをやってます。……いや、やってました。

「謎が好きですか?」と問われれば、それはもう「好きです!大好きです!!」と食い気味に答えます。
某サイトではないけど、謎があるからギリ生きてます。
もう少し正確に表現するのならば、「謎解き公演」といわれるものがこの世に数多く存在し、それに参加し続けたから、今現在私は生きてます。


現実の謎に正解はない

時は遡って約2年前、あの当時の自分のメンタルはボロボロでした。
原因は複合的なものですが、「研究が思うように進まない」のが一番でしょうか。

研究とは、「わからない状態」に対してあーだこーだ説明を考えて検証して、「わかった」を発見して他者に認めてもらう、一連のプロセスです。
「わからない状態」はいわば謎です。それを解き明かそうとするから、つまりは謎解きともいえます。
ただし、そこに解が存在するかはわかりません。
もちろん存在すると信じて取り組み、少しでも解に近づけるよう試行錯誤をするわけですが、自分のやっていることに確信は持てません。

今のは一例で、その他の現実社会の問題、人間関係だったり社会の仕組みだったりも、「はっきりとした正解」は存在しないものばかりではないでしょうか。

答えが見えないからわくわくするのはあります。
宝探しは見つかるかわからないからこそ見つけた時の感動があると思います。
壁にぶつかるまで、私は自分が研究者に向いてると信じて疑わなかったし、実際最初の頃は非常に楽しかったです。
ただ、同期がどんどん先に行き自分だけが置いていかれる状況に耐えられるほど私の精神は強くなかったのと、人に相談するとか頼るとかが苦手だった私は一人でなんとかしようとあがいては、問題を悪循環させていました。

気がつくともうどうしようもない状態になっていました。
もう誰とも会いたくなかったし、何もする気になれなかったし、生きていることに疲れていました。

仙台アジトとの出会い

そうは言ってもやはり私は生に執着していたのでしょう。
この状態から抜け出す糸口を探して、楽しいと思えることを振り返っていました。
読書をしようにも文字を認識できずに、好物を食べても味を感じずに、人狼をしようと村に入っても発言できずに初日に吊られてましたっけ。
電車に乗って知らない場所で降りても感情に変化はなく、ただぼーと駅前に立ちすくんでいました。

仙台に向かったのは確か、以前に訪れたレストランにもう一度行きたかったからです。結局見つからなかったのですが……
あてもなくさまよい「リアル脱出ゲーム」の看板を見かけ、「当日券あります」の表記につられてふら〜と入ったのが、仙台アジトとの出会いでした。ちなみに公演は『マグノリア銀行からの脱出』でした。
ちょうどまた仙台でリバイバルが始まるそうですよ、東京では常設でやってますね、まだの方はぜひ。

リアル脱出ゲームは以前に誘われて一度だけ参加したことはありました。
周遊の謎解きはちょこちょこやってたし、一枚謎のようなものは小学生の頃から解いたり作ったりはしていてので、自分の本質として謎は好きなのでしょう。
ただ、数多くの好きのうちの1つでしかなかったです。
基本的に多趣味で飽き性なので、今のように世界が謎一色に染まってるわけではなかったです。

さて、マグノリア銀行の話です。
正直よくわからないままに時間は流れていましたが、部屋の中を思いっきり散らかしてくのは新鮮だったし、手渡されたパズルのようなものを解いて役に立ってる感はありました。
結果は失敗でした。
今思うと別にそうでもないし、スタッフの方の誘導が上手いからだとわかるのですが、その場は「惜しかったね」「あと一歩だったね」の空気になっていました。
この時、悔しかったのです。非常に悔しかったです。
久々にわいた自分の感情はポジティブなものではなかったけど、無気力でどうでも良いと思ってた世界は、この公演を終えて確かに変わったのでした。
なぜかはわからないけど「絶対に成功したい」と決意し、その場で別の公演の予約をとりました。

初成功に至るまで

爆弾を爆発させてしまったり、時空のはざまに取り残されたり、偽の鑑定をしてしまったり、女子高生の願いを叶えられなかったり……えぇ、失敗しかしてないですね。
「他に成功してる人たちはいるのに、なぜ自分は成功できないのだろう……」と、悔しさがどんどん蓄積していました。

今から思うとこの失敗しまくったのが良かったと思います。
悔しさがそのままやる気に変換され、「分析をして対策をたてよう」ということで、某まっぷ某語彙力やその他めぼしい謎解き関連のブログを漁って記事を読みました。……最初から1記事ずつ、全部。

昔の公演の話題にもついていけたり、マイナーな団体の情報も知ってたりで、古参の謎解き勢だと思われがちですが、たいていはこの時期に他者のブログを漁りまくって仕入れた知識です。
まだ2、3年の新参者です、宜しくお願いします。

web謎や持ち帰り謎もやりつつ……10公演目くらいでしょうか、ついに初成功しました!
地図を見なくてもすいすい行けるようになった仙台アジトで、公演は『マッド博士の異常な遺言状』でした。
その頃には積極的にコミュニケーションが取れるくらいにはメンタルが回復していたし、役割分担と情報共有もばっちりできるようになっていたし、成功がわかって自然とチームメンバーとハイタッチしてましたっけ。

今からちょうど2年前のクリスマスの時期の話です。
そして、その時のメンバーとまた連絡取りたいな、また一緒に謎解きしたいな、と思いTwitterのアカウントを作りました。

謎があるからギリ生きてる

初めて仙台アジトを訪れた日から今日に至るまで、私の手元には常に何かしらの謎チケットがありました。
その公演に参加したいことだけをモチベーションに生きてるといっても過言ではないです。予定が途切れることを恐れて、想像するのも怖かったです。
……って、立派な依存状態ですよね、これは。大丈夫なのでしょうかね?

事前にグループを組む時もありましたが、たいていはソロです。
先の約束をして、果たしてちゃんと守れるのか自信がなかったです。迷惑をかけたくはありませんでした。
最近は誘われたらほいほい乗るようにはなったけど、以前はいつも言葉を濁していたのはこういう背景があったからです。
それでもSNS上で、時にはリアルで交流を持ってくださった方には感謝しかないです。

去年までは東京の会社と共同研究をしており、月1の頻度で東京に行く機会がありました。
それまでは成果が何もないのに進捗報告をせねばならないのが憂鬱でしかなかったのですが、「やっつけでも乗り切れば謎解きに行けるぞ!」と考えると、東京に行くのがむしろ楽しみに思えました。交通費の自己負担がないのは大きいですね。
行く日に何があるかなーと積極的に情報収集するようになり、はしごプランを立てるのもパズルのようでわくわくしていました。

ネガティブなことが頭の中をぐるぐるし始めたら、とりあえず持ち帰り謎を広げるようにしました。
目の前の謎と集中して向き合えば、その他のことはどうでもよくなり、少なくともその間は心の平穏が手に入り幸せです。
解き終わった後に「はぁ……現実逃避してるだけじゃん……」と後悔をすることもありますが。
こう書くとやっぱり依存症との類似点が見受けられるのですが、大丈夫なのですかね?

まぁ謎に違法性はかけらもないし、コスパ的には悪くないので、大丈夫ということにしましょう、そうしましょう。


謎解きの魅力について考える

やっと入れます!ここからが本題です!!
このように依存性たっぷりの謎解きの魅力って、結局なんなのでしょうか。自分なりにまとめてみたいと思います。

いや、アドベントカレンダーに登録した時点ではここだけ書くつもりだったんですよ?こんな長々と自分の話をするつもりはなかったんですよ?
マグノリア銀行という思い入れのありすぎる公演が目に入ってしまったのと、いい機会だから自分の気持ちを整理して一区切りつけたかったのです。
文章を書き上げるにつれて、自分の心は軽くなっていくのは実感したので、これからは適度にオープンにしましょうかね。noteもせっかく新規登録したからには活用したいですね。

話を戻して謎解きの魅力!ざっとこんな感じでしょうか。

・ゴールが明確であり、気軽に達成感を得られる。
・強制的に思考させることにより、日常を忘れることができる。
・事前準備が不要で、すぐに入り込める。

<ゴールが明確であり、気軽に達成感を得られる>

この文章のタイトルにも付けてる通り、謎解きには「答え」という明確なゴールが存在します。それが最大の魅力だと思っています。
まぁそうでないタイプもありますが、一般的な謎解きという範疇からは外れるのでここでは置いときましょう。

自分が解ける解けないに関わらず、解説のある謎が好きです。というよりそうでないタイプの謎は敬遠しています。

例えば、Twitterに流れてくる一枚謎は手軽に達成感を得ることができて、日々の癒やしになってます。出題者の皆さんいつもありがとうございます。
数多くの出題アカウントの中で私がチェックするようにしている基準は「解説まで載せるかどうか」です。
解けなかった時にストレスなので、解説をしないタイプなんだなと思うと、偶然流れてきても手を付けないことにしています。
解説は一定期間区切った後に公開でも良いし、外部サイトに誘導でも良いんですけど、なんらかの方法で答え合わせはしたいんですよね。
出題者にDMをすればたいていは答え合わせに応じてくださるでしょうが、それはちょっと手間に感じてしまうので自分はやらないですね……

ちなみに特に好きな週謎はケモ謎です。
問題が面白いのはもちろん前提として、その場でラインに答え合わせもでき、次週にちゃんと解説も公開されるって素敵すぎません?
このシステム広まらないですかね?

謎解き公演は解説があるのがデフォルトなので、成功しても失敗してもすっきりできるのでしょう。
なのでたまにある「解説なしでリベンジ可」「マルチエンドで自分が通ってないエンドの情報は知りえない」のようなタイプはもやもやが残って好きではないです。
その場で解説があるだけで満足はするけど、小謎全部の解説は時間的に厳しいだろうし、その場で言われても忘れてしまうので、欲を言えば持ち帰りのできる解説シートなりwebでの解説ページが用意されていると非常に嬉しいです。
準備するのは大変だと思いますが……

解説ページといえばARROWSという団体が大好きです。目に付きやすいところに解説ページのブックマークを置いてます。
今ちょうど全国を回ってるPARALLEL BOXシリーズをぜひやって欲しいんですけど、中でも最初の作品の解説ページと制作者コメントを私は数え切れないくらい読み返しました。
リンクを貼って紹介することくらいしかできませんが、この場を借りてお礼を言わせてください。
あの作品が自分の支えになったのは確かです、ありがとうございます。

あれ、分析と見せかけて自分の願望を書いてしかないですね……
つまりは「答え」が欲しいんです。実社会の問題はなかなか解決しないから、架空の世界の問題くらいは短時間で解決して達成感を得たいのです。

<強制的に思考させることにより、日常を忘れることができる>

前項は「謎が解けた瞬間」に注目した話だとすれば、この項は「謎が解けるまでの時間」についての話です。

答えがあるのは何も謎解きに限りません。
たいていのゲームにはわかりやすいゴールが用意されていて、一意性の面ではパズルの方がよっぽど保証はされます。
あぁパズルはニコリを購読してたくらいには好きでしたよ。謎一色の今はもうすっかりやらなくなりましたが……

パズルにも「考える時間」はありますが、黙々と条件を確認して機械的に解く「作業」の時間が多いです。
無心になって取り組めたら癒やしになるのかもしれないけど、私は手を動かしている時、頭の中では別のことがずっとぐるぐる回っています。そして単純ミスして最初からやり直しまでがセットになります。

それに対して「ひらめき系の謎」は解けるまでずーーと考え続けなければいけないので、他のことを忘れることができます。
時間制限のあるものは強制的に区切る必要もあるでしょうが、持ち帰り謎はずーーと考えていたいです。とはいっても解けないものは解けないのでヒントなり解説はほしいんですけどね。

現実逃避に謎解きは最適だ、というまとめになります。

<事前準備が不要で、すぐに入り込める>

謎を解くのに特別な準備は必要ありません。
公演だったらチケット買って時間通りに会場に行く準備は必要ですが、当時の私がふら〜と入ったように敷居は低めだと思っています。

経験を重ねることによって成功はしやすくなるのかもしれませんが、成功しなくても考える時間だけで有意義なので、クイズやスポーツのように練習しなければいけないわけではないと考えます。

すぐに現実逃避できちゃうわけです。

この項はおまけで、前の2つが自分が謎解きに求めるものですかね。
他にも「解けることを他者に自慢したい」とか「体験を他者と共有したい」とかいろいろありますけど、たぶんおまけなので以下略です。


謎制作団体の立ち上げ

謎解きというコンテンツのすごさは、これでもかってくらいに実体験しました。謎解きと出会ったから今の私はいます。
私がこれまで出会えたたくさんの謎解きに救われたように、自分の作ったものが誰かの心に届くといいな……と思い、東北に新しく謎制作団体を立ち上げました。

のいばなぞ(@noibanazo)といいます。
つい2週間前、仙台にて旗揚げ公演『森の鬼との約束』をおこないました。
この文章を読んでいる方は参加してくださったり、関係者だったりが多いかもしれません。本当にありがとうございました。
そうでない方はいつかどこかで再演はしたいと考えてるので、良ければ遊びに来てくださると嬉しいです。

先ほど解説について力説してますよね。普段から自分が口にしてる内容なので、解説ページを作るしかないですよね。
頑張りました、web担当が。
いろいろ要望出してすみません……ギリギリまで修正してすみません……

解いている最中は日常を忘れて欲しいから謎をもりもり詰め込んで、解き終わったら日常と溶け込むような、そんな公演になったらいいなと願って作りました。
少しでも参加した皆さんの心に残るものになったのならば幸いです。

…………
………
……


こんなふうに書くとそれっぽいですか?
「のいばなぞ」のこと応援したくなりますか?

……


ごめんなさい。嘘です。
参加者のこと、どうでもいいです。
いや、やると決めた以上は楽しんでもらえるものにしたいし、より面白いものにしたくて必死になってたので、どうでもよくはないですね。

やると決めた理由はあくまで「私」のためです。

現実逃避しつつも現実と向き合うには

謎解きと出会えてから毎日楽しいです。
ご飯はおいしいし、疲れたら眠くなるし、誰かとおしゃべりする時間は心地いいです。
ただそれらは「渡鳥」としてです。
私のことを「渡鳥」と認識して交流してくださる方が増えれば増えるほど、「渡鳥」と「私」の中のギャップは増えていました。
この前偶然仙台で「私」の知り合いに会いました。ここにいることを気づかれなくて、声をかけられたけど人違いのていでやり過ごしました。たぶんやり過ごせてはないんでしょうが。

本来ならば論文を読んでないといけないのに謎解き関連のブログを読み漁って、実験をすすめないといけないのに謎解きに熱中しているわけだから、当然の結果として「研究者見習いの私」の周りの環境はますます悪化するわけです。
1年、2年とだましだましやって、問題の先送りをしてきたけど、そうもいってられなくなったのが今です。

今一番やりたいことはなんだろう……と考えた時に謎解き公演を作ってみたくなりました。
先のことがどうなるかなんてわからないから、今やりたいことをとりあえずやろうと一人でコツコツ作ってみたけど形にならなくて、周りの人たちも巻き込んだのが「のいばなぞ」という団体です。

思ったよりもちゃんとした形になってしまって、焦ったりプレッシャーに感じたりもしましたが、なんとか無事に公演が終わってほっとしています。
正直に言うと、これ一回きりの活動になる可能性も大だと思っていたので『森の鬼との約束』にいろいろ詰め込みました。次はないつもりでした。
だけど終わってすぐに、いや終わる前から「次はこうしたいね」「こういうギミック使えそうだね」とのトークが盛り上がったので、一回きりの活動ではなくなりそうです。
東北の謎解き界隈を盛り上げていきたいです。

『森の鬼との約束』は参加者に向かってメッセージを発しているようにみえて、制作者の私が自分に言い聞かせる意味で作ったものです。
言霊と表現していいのかはわからないけど、同じメッセージを何十回、何百回と繰り返していくうちに、あたかもそれが最初から自分の考えのようになるものですね。
だから、大丈夫です。「研究者見習いの私」ではない「私」の居場所もちゃんと確保して、「渡鳥」として謎を解いたり作ったりしていきます。

まとめ

自分の話もだいぶ入り込んでしまったが、本来書きたかったのは以下の通りです。

・謎解きはすごい!
・解説のある謎が好きだ。
のいばなぞを宜しくね。

おわり。


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