目標がブチ折られたとき

どの本で読んだかは忘れたけれど、他人が介入することで、夢や目標が変な方向へねじ曲がったとき、身近な人の死と直面する程の喪失感を、経験するらしい。臨床心理の本だったと思う。

お前にどんな権限があって、他人の夢をねじ曲げているのかは知らないが……責任持つんだよね?
また金の話か、夢にゃ金が掛かるに決まってるじゃん。それを生業にするかは、お前が決めることじゃないだろう? 折った心はどうするんだ、どんなにしんどそうでも、責任持つんだよな?
お前の元を離れようが、どんなに病もうが、最後まで。ずっと病み続けるぞ? 見てみろよ、お前とつるんだお陰で、全部、裏目に、出てるだろうが。

下手になったと言われ
疑心暗鬼も吹き込まれ、孤独を選び
当然、人は離れる。
そんな時にべちゃべちゃ一緒にいることが
陰で泣かせることが、本当に助けになるとでもーー
そんな言葉は、通じない。

そう言いたくなるが、言っても通じない。
そんな人を、たくさん見てきた。
噛み合わない会話ほど、気持ち悪いものはない。
是枝監督のDISTANCEで感じた物のように。

単純な話、そういう人に飲まれてしまう人は純粋でピュアな人が多い。周りに噛みついたりするのも、あなたは素晴らしいのに、認めない世界が悪いと吹き込まれ、傀儡化してしまっているからなのだが、そういう人は後から冷静になった時に、少なからず後悔している。

その時は「自分は正しいことをしているし、発言している」と思っているらしい。彼らなりの正しさをインプット済みなので、まるで脊髄反射だ。

傀儡化しているから、恋愛感情や愛情というよりは心酔している。お前を認めない世界が悪いという言葉が無いと、生きていけないらしいのだ。この感情をどこかで読んだと思ったが、某真理教の実行犯の独白だった。冷静に考えなくても公共倫理的、道徳的に間違っていることをどうしてしてしまったのか、という問いに対して「あのときは正しい行いをしていると考えていた」と答えている。

しかし指示した者は彼らをいとも簡単に捨て、逃げた。裏切った。実行した彼らは実際救われたのか。後年、なんてことをしてしまったのか、と自責の念を綴っている。

比べることなのかどうかはさておき、将来に対して不安があれば簡単に陥る感情だし、無自覚にせよ、純粋で不安でコンプレックスを抱える人を傀儡化させるのは、簡単だという話。親にせよ、家族にせよ、友人恋人、その他諸々。複合だともっと強い。

この間、またひとり生産されるのを見た。
リカバリーは別の話だが、自分のことを数値として可視化出来る分、多分軽症だろう。どちらにせよ、傀儡化から解けないと何も出来ない。他の例に漏れること無く、散々のたうち回るんだろうな、と思う。傀儡化されていることは頭では解っている事が多く、自分の首とか胸とか掴んで、数年分の毒を吐き出しながらそのままくたばるか、吐き出すだけ吐き出して、今まで見たこと無いほどの強い光を目に宿すかは、その人次第。おおよそ9割がくたばる。

そういうのは、得てして立ち上がれば強い。
「あのときのしんどさ、息苦しさ、生きた心地の無さに比べたら、なんのことはない」と思うらしい。では何故、そんなアホみたいなものに引っ掛かったのかと問うても「解らない」としか返ってこないのだ。人の恐怖心や不安感につけ込み、金の話でもするとそうなるんだろう。

私は傀儡化の兆候を見れば距離を取るし、それが確信に変わると一切関知しない。宿主共々、勝手に暴れ、疑心暗鬼になり、刃物を振り回し始めるから。そのうち、宿主は傀儡とは別にボロを出し始める。

自分が正しいと思っていることが全部裏目に出てしまった場合、何かで埋め合わせをして、自分が正しいと証明しなければ示しがつかない。某教団の教祖も"そう"だった。追い詰められて、地下鉄で救済の世紀末のマッチポンプを"やらせた"んだったな。

魑魅魍魎の類は離れれば取れる。
結局、そういうのが気の迷いで取り憑いたとしても、たったひとりであっても信者がいなきゃ、教祖モドキも続けられない。時間が経てば、ごく凡人に戻るのだ。


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