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ぼくもヒーローになりたい。と言えるように。

前回書いた「新しい価値観のプロバスケチーム」をぼくが予想した以上にたくさんの方が広めてくれたおかげで、たくさんの激励と、選手になりたいと言う方々からメッセージいただきました。ありがとうございます!

待ってくれる人がいると思うだけで、ぼくのこの想いは加速し、実現に向けてさまざまなことが現実味を帯びてきました。
初めて読んでくださる方はこちらを一度読んでみてください。

いわゆるローカルプロチームを作ること。この結論に至って、自分の中でこれほどまで納得できている理由ってなんなんだろう?と考えていたのですが、やっと、そうだったんだと気付いたことがあって、今日はそのことを書くことにします。おそらく身の上ばなしから始めるので、かなり長くなりそうな予感ですが・・。

僕は小さいころ、何者でもない子でした。
勉強も、スポーツも、お笑いのセンスも、チョコレートの数だって自慢できるものは何一つありません。特徴と言えば、少し落ち着きがなく、やんちゃな奴の後に続いて、自分1人ではできない悪さをするぐらい。
中学に入り、バスケ部に入ったのですが、1年の時に、なんと3年生の部の先輩を含む数名が殺人事件を起こしてしまうという、驚くような事件が。
その少し前から、その先輩から一部の後輩たちが色々なものを買わされて資金調達のカモになる。という当時ではさほど珍しくないライフサイクルの中に、僕も末端として登録されていました。この事件以降、僕の親がその真相を学校に話し、全てが明るみに。そのことがきっかけで、関わっていた同級生からも数日間制裁を受けました。僕のバスケ部に居づらくなり、わずか数ヶ月で退部。バレー部に転部して幽霊部員となりました。
そう、逃げました。

マジックジョンソンという、NBAのとても有名なプレイヤーが僕の憧れでした。ポジションは司令塔となるポイントガード。長身で、ほんの少しふっくらしているため、そんなに動きは速くないのですが、僕は彼の指先から出される芸術のようなパスに魅了されました。
後ろに目があるかのようなノールックパス。どんなゲームでも本当に楽しみながら笑顔でプレーしている姿に憧れて、近所のおじさんが録画してくれたたった2試合分のVHSを何度も何度も見ていました。
彼と僕を重ねて、いつか試合に出られるようになったら、僕もあんなパスを出して見たい。魔法使いのような選手になりたい。
迷わずバスケ部に入りましたが、試合に出ることもなくやめた僕は、その存在すら忘れたかのように、その後一度もビデオテープをデッキに入れることはありませんでした。

高校に進学し、たくさんの個性的な仲間もできてそれなりの青春時代を過ごすことができました。男子校であるがゆえに、女の子のことばかり追っかけているどうしようもないやつでしたが、この頃から、部活動ではなく、少しずつバスケを遊びでするように。そしてそのまま大学へ。

社会人になって11年経った時に、大きな転機が訪れました。当時bjリーグと呼ばれていたプロバスケリーグの強豪、大阪エヴェッサに営業職として入社することになったのです。町にポスターを貼り、チケットやスポンサーシップの営業を続ける毎日で、一番の楽しみだったイベントが、選手と一緒に学校を訪問するキャラバン活動。当時のチームは、営業スタッフが選手と接触する機会はさほど多くなかったのです。

男前が揃ったチームのため、どの学校に行っても選手たちは人気者。子どもたちが本気でワクワクしていることが僕の栄養ドリンクになっていました。

ある学校で見かけた、子どもたちの将来の夢を綴った文集。
「エヴェッサでプロバスケットボール選手になって、ヒーローになる」

大阪エヴェッサが発足したのはその当時の2年前。それまでは、日本にプロバスケチームはありませんでした。もちろん、僕が子どもの頃も、国内にプロ選手という言葉はなく、僕たちが、この子たち新しい目標が作れていることに感激しました。その後も、プロバスケ選手という選択肢を書く子どもたちをたくさん見ることに。それは僕のモチベーションとなっていきました。

兵庫で立ち上げを手伝い、香川で再建をお手伝いしながら、いろんな場所でプロになりたいという子どもたちともたくさん会うことができました。

ただ。

どうしても僕の中に、昔の僕が頭をもたげるのです。
こうやって「プロになりたい。」って書いてくれた子たちも、成長する中で、いろんなことで諦めてしまったりするんじゃないか?チャレンジした後ならそれもいいが、その前に、誰かの評価や、自信の無さや、僕と同じように居ずらいという理由でやめてしまったり。逃げてしまったりする子もたくさんいるんじゃないか?この思いは、ずっと球団運営に関わっている間中、時折襲ってきました。まっすぐ向かっていけた子の何十倍も、諦めた子がたくさんいるはずなんです。そして僕と同じようにたくさん後悔している子たちも。

それだけじゃなく、頑張ってきたけど、全くレギュラーになれなかった子、指導者との相性などで、伸びる機会を逸してしまった子。続けてきても色々。

僕は小さい頃から、今もかもしれませんが、本当にたくさんの妄想をします。現実離れしたものも、現実の先のことなども。
その中で、何度も出てくることがあります。「ヒーローになりたい」という妄想です。
ロックバンドだったり、舞台俳優だったり、革命家だったり、もちろんコートに立つ姿や、ベンチで指揮をとる姿など。
もっと小さいけど、誰かのヒーローだったり。ホットドッグを投げるおじいさんになりたいとか。

20数年前に、Jリーグができました。
愛好者だけのものだったサッカーが、みんなのものになっていった。
bjリーグができ、その後Bリーグとなって、プロバスケもみんなのものになり始めました。

沢山の、ヒーロー志望者が出てくるでしょう。
僕の周りにもいます。

でも、バスケと出会う中で、本人の気持ちだけではない様々な不一致が彼の行く手を阻む。選択肢だったり、大人だったり、成長速度だったり、知識だったり、親だったり、お金だったり。

どうやったら解決できるのか??

少年団のコーチをしました。
でも、そこは代々守り続ける一つの選択肢としてあるべきだと感じました。

これを変えて行くことはちがうなぁ。
でも、これだけではいけない。子どもの数が少ないから選択肢がないって、すごい大人の都合だなぁと。

選択肢が多い方がいい。
これは競技内だけでなく、様々な競技もと言う意味も含めて。

そして、個人のスキルを磨くことと、いろんなスポーツに出会う場所を作るためにサッカーとバスケの、アカデミー。チアやトランポリンなどのプログラムもスタートさせました。

子どもたちは大きくなり、中学、高校と進みます。思春期。
スポーツが、部活でしかできない。
顧問は選べないし、いつ異動になるかわからない。学校生活の友人間のポジションが全てに作用する。

これは、部活以外の選択肢もいるなぁ。
大人に混ざってバスケができる日を。

その中で、どうしてもどうしても心にあるのが、「選択肢は増やしたけど、根本的な解決になってない」という感覚。

昨年12月に、島で初めてのプロバスケ公式戦を行いました。
そこにあった景色。
2日間、超満員となったアリーナで、大人も子どもも初めて観るバスケの試合と、エンタテインメントに、目の前で見るダンクに、熱狂してくれました。

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翌日、事務所のある体育館の裏に置いた、私物のバスケリングに、30人を超える子どもたちが集まってました。

ぼくたち小豆島スポーティーズのミッション
「夢中のキッカケをつくり続ける」
の風景が、そこにありました。

これを、

もっと、当たり前に
もっと普通にしたい。

この島にプロチームがあればいい。
この島にプロ選手がいればいい。

じゃあ、どうやって?
それが、新しい価値観のプロバスケチーム
という、答えに行き着きました。

プロは、憧れを生みます。
そこは、トップでも、そうじゃなくても。

そして、バスケから始まって、それぞれの事業を引っ張る人たちが様々な競技に広がれば。

と、スタートしました。

プロが身近になる。
そうすると、ぼくもなりたい。
が、増える。そして、この島にローカルプロがあれば、プロになるという夢を叶える実現の幅も増える。狭き門で無くなる。

プロというのは、トップカテゴリーに所属することではなく自分の持っている力で誰かに何かを届け、何かしらの報酬を得ることができる人。

ぼくは、まだすごくない。
でも、ぼくもヒーローになりたい。

そう、言っていい世界を作りたいんです。

サポートお待ちしてます。 そりゃもうお待ちいたしております。