至誠(変えようとすること②)
至誠而不動者未之有也
(留魂録 第一条 "誠"の一字 より)
29歳になった。
自分にとって29というこの数字は、強く意識していた節目のものであり、誕生日の7月1日が近づくにつれ、噛み締めるような思いで毎日を過ごしていた。
吉田松陰。
幕末の混乱期の中、開国を迫る欧米列強を前に日和見的な対応に終始する時の権力者である幕府に強い危機感を覚え、尊皇攘夷を掲げて改革のためにその身命を賭した志士。
伊藤博文、高杉晋作、久坂玄瑞、野村靖、明治維新を強力に推進した数々の著名人を含め、日本史上最も華々しい生徒を輩出したであろう私塾、松下村塾を開塾した指導者。
日本で最も偉大な教師の1人。その彼が命を落としたのが29歳である。
この国で「教師」と名の付く職にある人間で、この人を全く意識しない者などいないのではないだろうかと個人的には思っているが、自分ほど意識している人間も珍しいかもしれない。
思えば、彼のことは中学受験のため塾で受けていた歴史の授業で知ってからずっと意識していた。
より具体的に松下村塾がいかにして教育を行なったか専門書で学び、彼の著書、留魂録を原文で読んだのは大学の頃だった。
ただ素晴らしい教え子達を輩出したという点でのみかっこよさを感じていた彼の思想に触れ、その感性の自らとの合一に強く驚いた。
彼が志半ばで武蔵の野辺に朽ち果てた29歳という年齢となった自分が書く最初の文章の副題は
「変えようとすること②」
この人生にずっと付き纏ってきた、生き方について。
この時にも少し書いたが、自分にとって非合理は我慢する対象ではなく、変えなくてはならない対象である。
しかし、非合理に対しそのモチベーションで動く人間はめったにおらず、ほとんどはそれを甘んじて受け入れ、忍耐し、時に愚痴を漏らしながら酒を飲むことで溜飲を下げる。
それが悪いことと言うつもりはない。まあ昔の自分はひどく尖っていたから、そんな人間達に強い憤りすら感じていたけれど、そういう感性で生きることができるならそれも一つの生き方だと、今では思う。
そして、その場にとどまって耐えるだけが手段でもない。優秀で賢い人間の多くは、非合理の蔓延する場所には早々に見切りをつけ、合理的に物事が動く場所にちゃんと移動する。
事実、世の中の99%の人間がこのどちらかに属していると思う。
非合理の中でうまく泳ぐ方法を見つけるか
非合理の無い場所を探し、そこに向かうか
しかし自分は、非合理は変えないといけないと思ってしまう。たとえその思いのせいで自分が大損をしたとしても。
なぜかはわからないが、そんな思いは小学生の頃からあった。中高こそ非合理と無縁の世界だったからあまり感じなかったが、大学はまた非合理に打ちのめされたりしていた。
だからこそ、吉田松陰の留魂録を読んだ時、衝撃を受けた。
彼もまた、自分と全く同じ感性を持って動いていた人間だったから。その思想について深く語るとこのブログが吉田松陰回想録になってしまうので詳述こそしないが、彼はまさに「自分が損をしてでも、自らが信じる合理のために、変えようとした人物」なのだ。
そして彼の「損」に至っては、その「命」を失うという最大の形で損をしている。苛烈さのレベルの桁が違う。
彼は変えようとした情勢と立ち向かい、志半ばで散った。しかし彼の志を受け継いだ人間達が彼の思い描く理想を実現し、日本は明治維新を迎えることができた。
29歳。
彼と同じ土俵に立った今、人生を回想して思うこと。
まだ何も成し遂げられていないということ。
いくつかのことを変えようと戦ってきて、いくつか成果のようなものを散りばめてきたけれど
まだ自分は何者にもなっておらず、自分がいたから何かが変わったと言えるような大きなものは得られていないということ。
吉田松陰と同じ、志半ば。だがその道程において足元にも及んでいないということ。
それでも、今も。
同じようになにかを変えようと懸命に仕事をしている。
今の職場は非合理の塊で、はっきり言って酷い有様である。でも変えることで道が開ける多くの可能性があって、変えようとすれば最前線で戦う権利を与えてくれる、そんな場所だ。
27歳の時、転職して違う人生を歩める可能性があった。その可能性を切り捨て、この生き方を選んだことは、多くの人間からしたら愚かなのかもしれない。
母親にも29の誕生日に「良い転職ができる一年になりますように」と開口一番に言われた。
悔しかった。
この生き方をずっとしてきていてそれを言われるのは、この生き方に意味なんかないと思われていることに近い。
でも当たり前だ、この生き方で自分はまだ何も得ることができていない。損ばかりして、周りに迷惑をかけているから。
だから。何も得られぬまま29になった自分にとって、今身を投じている戦いは最後の戦いだと思う。
今までの戦いは何かが足りなかった。
自分の言動が直接反映されない文脈が多かったり、物理的なリソースが不足していたり、戦える時間があまりにも少なすぎたり。
でも今は違う。
力も得た。
金もある。
仲間もいる。
時間も与えられた。
その全てが薄氷の上にあるような儚いものではあるけれど、盤上には全てのものが揃い、全力で動くことができる今。
ここで負けたらもう言い訳できないから、この生き方を見直さないといけないだろうな。
「至誠にして動かざるものは、未だこれあらざるなり」
この記事の表紙に引用した、吉田松陰の言葉。元々は孟子の言葉だが。
誠意をもって対すればどんなものでも動かせないということはない
この言葉を信じて、29歳を生きようと思う。
鷲津
p.s.
②が出るかはわからない、と書いた2017年の俺へ
お前は6年経っても何にもできないままもがいているけど、②は出したぞ。
いつかの自分が③を出すと信じて。
22歳、「NHKへようこそ」佐藤の歳を超え、岬ちゃんは迎えに来ないことを悟り
25歳、「1973年のピンボール」鼠の歳を超え、3フリッパーのスペースシップも、ジェイズ・バーもこの世には無いことを知り
28歳、「秒速5センチメートル」遠野貴樹の歳を超え、海王星を遥か彼方に見据えた。
29歳。俺の中で、吉田松陰が死んだ。
俺は、まだ生きている。
歳を重ねるたび、追い越せる誰かがいなくなる。
次は35、芥川がぼんやりとした不安を理由に死んだその歳まで。
最期の時は近いけれど、人生は長いから。
歯を食いしばって生きよう。
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