レズビアンがBL(ボーイズラブ)を愛好する気持ち

相方が私と付き合う前は、私のことを外見の特徴(眼鏡だし、当時は「THE事務員」な服装をしていた)、物言いなんかから「この人はセッ○○なんて汚らわしい!」とか言いそうだなーと思っていたらしい。それが付き合ってみたら相方より私の方が夜の生活に積極的だし、性行為ありのBLも愛好してるし…。お固そうな外見だったかも知れないが、私だっていい大人、人並みに性への関心はある。

最近はなんか枯れてるというか、書くことに忙しくて読むことも減ったが、ワタクシBL(ボーイズラブ)漫画も嗜む。今回はレズビアンである私が、どういう気持ちでBL(ボーイズラブ)漫画を嗜んでいるのかという話。


私の好きなBL作家さん

私はそこまでBLに造詣が深いとは言えないライトな読者だが、家にもいくらかは作品を所有している。その全てが「腰乃」氏の作品だ。

ネットや貸本で他の作家さんの作品も読んだが、氏の作品は何というか…切り口が面白い。「山なし、オチなし、意味なし」と言われたBL(やおい)の世界、そこにはマンネリズムの美ともいえる「定番の流れ、設定」が存在する。その安定した世界に身を委ねれば、もれなく「萌え」の喜びへと連れてってくれるというわけ。…なんか宝塚を楽しむヅカファンの思考に似ているような…。

腰乃氏の作品にも王道の流れはあるのだが、氏の場合はなんとなくこだわりポイントが通常の「萌え」にない気がする。氏の作品は少女漫画のラブコメのように、深い関係になるまでのヤキモキに重点が置かれ、そのコミカルなやりとりは知性派芸人による上質なコントを見ているようだ。非常に些末なことでひっかかる人間模様が面白くて、私は腰乃氏の作品を愛好するのだった。


百合について

「レズビアンならBLより百合なんじゃないの?」と言われそうだが、そちらはBL以上にほとんど知識がない。女女の組み合わせ(百合)は、以前は読める作品自体が非常に少なかった。レズビアンである私としては、そういうものも読んでみたくて探した時期もあったが、やっと見つけても質的に難ありだったりして探すのをやめてしまった。

百合といえるかどうか微妙だが、レズビアンもので以前に所有していたものもある。中村珍氏の「群青」だったが、映画「モンスター」を思い出すような重苦しい作風。読み応えはあったが、その苦しさ故に所有しているのが辛くて売ってしまった。

過去に読んだものの印象としては、女女の組み合わせだと精神的なつながりに重点が置かれ、何となく暗い感じの作品が多いような気がする。今はコミカルに楽しめるものもあるのかも知れない。機会があったら探して読んでみたいが、興味の方向が今はそちらにないという感じ。


男女の組み合わせについて

世に溢れる大人の漫画は男女の組み合わせのものが圧倒的であり、もちろんそういうのも読んだりする。しかし腰乃氏のBL作品を所有するように、手元に置いて繰り返し読みたいような作品に出会ったことがない。私が過去に読んだものの多くは、私にとってはその場限りの消耗品で、一度読んでしまえば次はないという感じだ。

男女の組み合わせの作品は、多くが男性の鑑賞を目的に描かれている。そして男性に好まれる表現なのか「異常なデフォルメ」「暴力的描写」「男性に服従し、開発される女性」などなど、日常とはかけ離れた世界が描かれているのが辛い。AVについても同じことが言えると思うが、「女性向けの作品」がほとんどない。女性が読んでいると、精神的にも肉体的にも踏みにじられたような気分にさせるものの何と多いことよ。

嫌いなものには近づかなければいいので、ここでそういう作品の批判をする気はない。ただ全ての表現形態において「女性向けの上質なポルノグラフィー」がほとんどないのが哀しい。「今まで女性がそういうものを求めてこなかったから」と言われればそれまでなんだが、その辺りにも「女性がBLを愛好する理由」がありそうだ。


対等であるということ

私がBLを愛好する理由として、「カップルの対等な関係」がある気がする。

男女の組み合わせを描く場合、そこには男性社会が抱える「男尊女卑」的思考が現れてくる。女性上位な表現がされている場合は、男性側の歪んだ「母性への憧れ」とも思える。とにかく通常のカップルの望むべき在り方である「対等な関係」が描かれることは非常に稀である。

それが男男の組み合わせ、女女の組み合わせになれば、少なくとも世に蔓延する男女間の格差が表現される可能性が減る。「女性だから男性に組み敷かれなくてはいけない」みたいなことがないということ。特に腰乃氏の作品では、「ベッドでどちらがどちらの役割をするか」ということが、カップルの間で問題提起される場面がある。そこには「ベッドでの振る舞いは、それぞれの好みと両者の合意によって決められる」という前提がある。


ファンタジーとしてのBL

出てくる人が軒並みレズビアンな「Lの世界」ではないが、BLでは登場する人のほとんどが男性である。つまり私にとって完全な「他者」と言える登場人物しかいない世界。そこは私にとって、全くリアルに感じられることはない「ファンタジー」の世界なのだ。登場人物に自分を投影することがないので、自分自身の心の揺れを考えることなく楽しむことができる。

そして男性同士の恋愛をあくまでファンタジーとして描くものなので、そもそもリアリティが求められていない。つまりリアルな男性同士の恋愛、ゲイの人々を描くものではないので、「現実にはこんなことない」が満載でOKなのだ。…ある意味男性の妄想を具現化した「男性向けエロ漫画」に似た現象が、「女性向けBL」にはあるのかも知れない。


だから何なのだ

いろいろ書いたが、要は「面白ければ良い」のである。自分でもよく分からんが「レズビアンだから同性愛物が好き」というわけではない気がする。それよりは「女性だから男性向けのポルノが楽しめない」ということかな?ゲイの人はどうなんだろう?機会があったら聞いてみたい(聞きにくいけど…)。

うーん、女性向けののポルノグラフィや性サービスの話は、もっと掘り下げて再度書いてみたいかも。今までの抑圧の歴史とか、現状の分析とかして改めて挑んでみる。

以上、ペーペーBL愛好者(レズビアン)の解説でした。先輩の皆様、異論反論受け付けます。

私の文章に少しでも「面白さ」「興味深さ」を感じていただけたら嬉しいです。