ラベルと本質

私は世の中で流行っているものは、なるべく避けて通りたいタイプ。「多くの人に評価されているなら、わざわざ私がそれを体験する必要はない」と思ってしまう。そして世の評判に踊らされたくないという気持ち。痩せ我慢なのか何なのか。

そういう誰かが貼った「ラベル」「レッテル」とその中身についての話。相変わらす面倒臭い理屈を捏ねるが、よかったらお付き合いください。


話題のお店

先日も同僚Y氏が県外の有名洋菓子店で買ったケーキを振る舞ってくれ、買いに行った時の話で盛り上がっていた。私はこういう話題に全く興味がない話。いただいたケーキはおいしいけど、そんなに騒ぐ程ではないし(←タダでもらってこの言い草)。そのお店のお菓子がどんだけ美味しいか、お店がどんだけ混んでたか、限定のお菓子云々…。どーでもいい。

私はなぜこういう話題が苦手なのか。それは話題そのものというより、Y氏の中の「有名店のお菓子だから美味しい」「話題のお店に行く私、お洒落」という認識が透けて見えてそれが苦手なのだ。

そりゃあ美味しいから評判になり、有名になったのだろう。実際にレベルの高い商品だとも思う。でも、味の評価に「有名点」が加算されていないと言えるのか?自分の好みのものを買うことより、既に評判になっているものを追いかけること、そしてそんな自分を楽しむことが目的になっているような気がする。なんかそれって…お洒落じゃない。


肩書き

昔の職場で仕事の関係上、政治家や大学の先生などの所謂「肩書きのある人」とよく会う機会があった。私にその職場を紹介してくれた知人は「偉い人に会う機会が多いと思うけど、勘違いしないように」という助言を残していた。

勘違いは…しなかったとは言い切れない。でもそれよりは「良い経験したなー」という感想。いろんな「偉い人」に会ったことで、「同じような肩書きの持ち主でも、結局人間性がその人の価値を決めるんだ」ということが分かった。大学の先生にも頭も人間も良くない人もいるし、自治体の首長さんもみんな普通のおじさんだ。政治家や自治体職員で偉そうにしている人は、大抵仕事ができない。頭が良いことと実務能力の有無とは、関係がないんだなーとか。

ある大学の先生は、やたら他の偉い人と名刺交換をしたがっていた。「偉い人に人脈のある自分が好き」なようだ。「もしかしたらオイシいことが起こるかも」という打算も含まれていたかも。その先生、研究の方はさっぱりな人だった。やっぱりね〜。


世代

「世代ごとの価値観の違い」みたいな話がある。団塊、バブル、ゆとり、その間に挟まれたロスジェネ…。相方は意識的になのか、時々こういう話をする。「バブル世代は車やブランドものにステータスを感じる」とか「団塊の世代は自分たちが国を作ったと思ってる」とか「ゆとり世代はやっぱり使えない」とか…。(←あ、相方はここまでは言わんか)では私たちロスジェネは何だろ?「バブル崩壊後の超氷河期に就職したから、夢も希望もやる気もない」とか?

こういう十把一絡げの話もなるべく避けたい。名前を付けてグルーピングすることで話がしやすい部分はあるが、括られる側の立場になったら堪ったものではない。評価の内容がその世代の大多数の特徴だったとしても、そこに含まれない人もいる。そして「○○世代は〜」なんていう評価はあんまり実態を正確に捉えていない場合が多い。

自分が含まれていない他の世代を貶めて「だから迷惑なんだよね〜」って言いたいだけでしょ?他の世代の人に迷惑かけられてても、それは世代のせいじゃなく個人の問題だと思うよ。


そうは言っても

物事をそこにくっついてる「ラベル」で判断する人、勝手に分類し類型化してものを見る人、嫌だね〜とか言いながら、自分自身にそういう傾向があるから気になるんだと思う。結構俗物な私。そういうものの見方が全面的に悪いとは思わないけど、評価と本質が違っていないのか確認する作業が必要だよね。世間の評価に頼ってばかりでなく、自分で吟味すること。

新しく知り合う人について、噂では「あんまりいい人じゃないらしい」とか聞いても 、「実際に付き合ってみないと分からない」という態度でいるとか。流行だからって、自分が好きでもないものに手を出さないとか。うーん、やっぱりちょっと天邪鬼?屈折してる? でもそういう青い自分、嫌いじゃない〜。

私の文章に少しでも「面白さ」「興味深さ」を感じていただけたら嬉しいです。