私と写真とカメラ。
noteを始めて少したったので、ここらで私と写真とカメラの話をしてみようかと思う。
なぜ写真を撮るようになったのか、なぜ今も撮り続けているのか、これから写真とどう向き合っていくのか。これといって人に話す機会もなかったし、自分の中でもふわふわさせていたことなのだけれど。
いつから写真がスキだったのか、思い返してみれば、小学生の頃からだったのかもしれない。
何かの付録でついてきた使い捨てカメラで、獅子座流星群を撮ったことを覚えている。もちろん、写っているわけないのだけれど、そんなことわからずに、あの何億光年も遠くのきれいな流れ星を、小さい箱にたくさんたくさん閉じ込めた気持ちになっていた。
大切な人に見せたかったのかもしれないし、友達に自慢したかったのかもしれない。自分で何度も見返したかったのかもしれない。
今もずっと写真を撮り続けているけれど、この気持ちは変わらない。
その頃夢中で撮り続けていたのは(もちろん現像しても写ってはいなかったのだけれど)、マンションの廊下から見える、富士山に沈んで行く太陽だった。
毎日毎日、飽きもせずにその美しさに見惚れて、「パチャ」っと安い音をさせていた。
それからしばらく、
思春期の忘れ物のように離れてしまった私と写真だけれど、父から譲り受けた一眼レフと大学の写真部との出会いが、私と写真の距離をぐっと近づけた。
写真部では暗室にこもってモノクロ写真を焼いていた。
シャッターを切った光景が、暗闇の中に浮かび上がってくる様子は、わくわくと不安が混ざったような不思議な感覚で、知らない部屋に迷い込んで、先へと続くドアを恐る恐る開けるような、そんな感覚だったように思う。
この頃、私は、写真と正面から向き合うというよりは、ようやく友達になってきたところで、ただただ気の向くままに、撮りたいときは撮って、撮りたくないときは撮らない。純粋に写真と自分との関係を楽しんでいた。
写真の勉強もカメラの勉強もしなかったし、むしろ写真に大して片手間というか、ぞんざいな態度だったかもしれない。
展示の機会は多かったのだけれど、人生の夏休みという大学生を謳歌したばっかりに、何とも出来の悪い写真を展示していた時期でもある。
本格的に写真が趣味になったのは、大学卒業後、OLYMPUS OM-1というカメラに出会ってからだ。
モノクロ写真ばかり撮っていた自分には、カラーフィルムをプリントした時の、あのやわらかな風合いや色味は、衝撃的だった。
私は、あるカフェの写真部に入部した。
大学という狭い世界を飛び出したおかげで、自分よりずっと写真が好きで心動くような写真を撮る人々に出会い、これでもかと影響を受けた。
「もっともっと写真がうまくなりたい」
「人の心動かす写真が撮りたい」
ようやく私と写真とカメラが手をつないで並んで歩くことができた瞬間だった。
それから私は、写真ともカメラとも仲良くやっている。
行く先々にカメラを持って、大切な人に手紙を書くような気持ちで丁寧にピントを合わせて、「ガシャン」とずっしり思い音をさせている。
まだまだ勉強は足りないけれど、もっと自分の写真の幅を広げたいし、いろんな作風にチャレンジしてみたい。
自分の写真を発信して人に知ってもらいたいし、人の心を動かす写真を撮りたい。
これから、
私と写真とカメラはもっともっと近づきたいのだ。
END
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