JAC養成所

画像1 1983年(昭和58年)、JACの全盛期に開設された【JAC養成所】
画像2 1981年(昭和56年)の時点で、東映の岡田社長に進言され深作監督の理解もあり、アクションもこなせる本物の俳優を育てる学校を作る事を決意した千葉さん。昭和58年の開校を目指し準備。
画像3 学校の名前がJACアカデミースクールになるのか、俳優学院になるのか・・。
画像4 結局、JAC養成所という名称にて、予定通り昭和58年に開校。その養成所に開設と同時に入所した方の中から、正式にJACメンバーになられたのが、14期生のメンバー。真田広之さんによってJAC人気に火がついた頃にJACを目指した方達が受けた入所試験なので、受験者の数はもの凄かったはず。
画像5 この養成所一期生(JAC14期生)は逸材揃いで、この方達がJACメンバーになって様々な場で活躍した事で、JACも黄金期を迎えた。
画像6 私も1987年(昭和62年)、18期生に応募。 でも18期というのは、JACメンバーになった場合の言い方で、正しくは、養成所5期生じゃないの?とも思ったりしてた(^◇^;)💦
画像7 14期生や15期生の頃より、門戸は広い感じ。誰でも合格だったと思う。試験の時に実力は無くても、養成所で学ぶ事によって才能を開花させる人もいるので、なるべく多くの人材が学べる様にという主旨だったが、ぶっちゃけ金💴が必要だったのかな?と思う面もあった。入所金という金。 2次審査の時の面接は野際陽子さんにしていただいた。面接も、書類審査ではわからない事、変なヤバそうな奴じゃないかどうかを判断する場かな?と思った。
画像8 入所のためのお金💴が結構苦しかった。親に頼れなかったので金💴が無く、高校出てすぐの16期は受験できず、この約50万円を作ってからの受験。
画像9 プラス木刀代とかその他諸々で10万くらいかかった。 何かの専門学校に行くための金よりは安いのかもしれないけど、貧乏人には凄くきつかった。ちなみに14期生の頃は、1年間の養成期間だったけど、(何期からか)途中から養成期間は2年間になった💦金払わすため?😥 当時のスタジオ使用料、講師陣に支払っていた金額、諸々の経費と、生徒から支払われた総額、結局どのくらいボッタ、イヤ、どのくらいの利益があったのか、今になって興味がある😁
画像10 身分証。 必ず証明写真って犯人顔になるね。
画像11 場所は新宿区、地下鉄曙橋駅から歩いてすぐのビルの地下にあるスタジオ。JACスタジオとか四谷スタジオと呼ばれてたけど、実際は四谷ではない。四谷駅からは結構離れてる新宿区片町
画像12 このビルの地下室。今でもこのスタジオの変な匂いが思い出せる(^◇^;)
画像13 JACメンバー達もリハーサル等で使用していらしたスタジオ。私がトイレ掃除してた時に伊原さんが来て、「我慢できないんだけど使っていい?」と言ってきて「どうぞ」と言ったら、時間のかかる方だった💩
画像14 ストリートビューで見てみたら今でもビルとスタジオは残ってた。
画像15 近くの売店もまだあった😲ここのおばちゃんが当時、JACの事についてメチャクチャ詳しかった。
画像16 千葉さんが指導に来る事はもちろんなかったけど、入所式で「JACにようこそ!」とおっしゃっていらした。 イヤ、まだJACじゃないんですが・・(^◇^;)
画像17 講師陣。 ジャスダンスのコーチの女性はいい加減でやる気なさそうだった💦俺もダンスの授業は苦痛だった💦 演技の講師のお爺さんは、何かずっと自慢話だけして、たまに千葉さんの事もダメだしして喋るだけ喋って、1年間の最後の方に「ういろう売り」の台詞をやらされただけ。大嫌いな授業だった。 現代アクションと殺陣と徒手体操(マット運動・アクロバット)を大喜びで習いに行ってた。
画像18 私が通ってたクラスのメインの指導者は井上清和さんと
画像19 沢田祥ニさん。
画像20 「ヨーイ・スタート!」の「スタート!」を、スタートとは言わず木刀を床に打ち付けながら「ウリャー!」と言ってらした。「ヨーイ!ウリャー!」の「ウリャー」が急にデカい声だったので、たまにこっちはビクッとなった(^◇^;)
画像21 現代アクションと殺陣を指導してくださった。
画像22 井上さんは結構ふざける事が好きな方という印象だった。
画像23 井上さんと沢田さんがペアで現代アクションと殺陣を指導して下さった。
画像24 腹を殴られるリアクションは凄く褒めて下さった。
画像25 たまに高橋さんと
画像26 春田さんが指導に来られる時があった。 一度、練習の間の休憩時間に階段の踊り場で春田さんとすれ違った。まだ一日の練習は終わりではないけど、すれ違いざま無言もバツが悪いから「お疲れ様です」と言ったら、チッという小馬鹿にした薄ら笑いで「まだ終わってねえよ!」と吐き捨てるように言われた事がある。その時は「何だ春田純一!本当は性格悪いんじゃねえの?」と思った。(^◇^;)💦
画像27 一番嬉しかったのは、喜多川さんと赤田さんがコンビで指導に来て下さる時だった。お二人は当時『光戦隊マスクマン』に面を被って出演しており(喜多川さんがブルー、赤田さんがイエロー)その撮影がない時に指導に来られてた。喜多川さんは「俺はスタントマン志望のやつを贔屓するからな」と冗談半分に仰ってた。 車に【stuntmen】と書いてあるステッカーを貼ってらして、こんなステッカーあるんだ!😲と思った。
画像28 赤田さんは穏やかでメチャクチャ優しかった。喜多川さんも赤田さんも、さっきの売店で我々生徒と一緒にパン買って食いながら、昼休みは生徒と一緒にアクション談義、スタント談義をして下さった。赤田さんはその後、スタント事故でハンディを抱える事になってしまい胸が痛む。養成所コーチというより、喜多川さんの助手的な感じだったけど、親切に教えて下さり好きな方だった。
画像29 結局、2年目の代金、毎月25,000円が捻出できず、一年で退所。でも同じ状況でも人によっては、本当にプロになる気があるなら、バイトを何本もやって金を作って、色々な事を犠牲にして、何とか正メンバーを目指した人もいるはず。そう考えると私は普通に中途脱落者。そういう事からも、養成所を出て、正メンバーになった人達に対してはリスペクトの気持ちがある。ただのファンだった頃より養成所出てメンバーになった方への敬意はデカい。
画像30 今は、別にその道のプロを目指していなくても、趣味として習う事ができる事は多い。ゴルフだってテニスだって格闘技も。それこそ現代アクションや殺陣だって今は趣味として習えるけど、当時はプロの養成機関に行くしかなかった。私も大喜びで1年間、アクション習ってたけど、プロになる意識は希薄だった。ファンだった10年間の中の1年間、体験練習に参加させてもらった様なもん? 養成所卒業メンバーに対する見方が良い意味で変わったのと、やっぱり俺はただのファン、オタクだなという事が再認識できた事は良かった。

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