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早稲田卒ニート360日目〜読んで読んで、読まれて読んで〜

明るく朗らかな授業は不得意である。というのも、人生が順潮に乗っかって進んだこともなければ、優等生であったこともなく、生きることへの懊悩を失ったこともないからである。むしろ、敗北と不幸を生きた記憶ばかりが私の肩を抱いている。

しかしそんな話を青年らが案外面白がって聞くのだとすれば、人生というのは多くの場合、必ずしも幸福ではないということなのかも知れない。が、そこで着地するだけなら、つまらぬペシミズムに堕ちるしかなくなるだろう。かえって、幸福ではないにもかかわらず私はこう生きていくのだ、といった思考の展開こそが重要な意味を持つに違いない。敗北と不幸に拠って立つにもかかわらず、青年らの前に立つことをやめずして語り続けるのである。

切実な授業をしたい。それ自体が切なる願いである。そのためには、他ならぬ自分自身が、人生に対する内的な動機を持つことだ。敬意を持って生きている姿を晒すことだ。

こんなことを折に触れて思い返しておかないと、つい意識から薄れてしまうのが怖しい。

自分が学んだ道のりをもう一度辿り直す。何度でも思い返さなくてはならない。

それは即ち、学んだ分しか教えられないということだ。肝に銘じよ。

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