1000年生きられるかも

ランドを読みました

面白いとかそういうレベル感の話なのか?意味がわからんぶっ壊れるかと思った

何かを読んでいるときでもいいし、人生を生きている中でもいつなんどきでも良いのだけれど、頭の中に引用が流れ込んでくる瞬間がとても好きで、文字があれば思いがつながるとか、30年しか寿命がないから必死に最高のことをしたとか、今回はとにかく1000年生きられるかもしれないからという1000年生きてるのか氏が思い浮かんだ。
1000年行きたいですか?1000年後のすべてを見てみたい気持ちはあるけれど、素直に1000年行きたいとは思えないかもしれない1000年後も自分の姿を誰かに知ってほしいですか?ただ漫然と生きていたいですか?答えはでないけれど、とにかく何かを作ってそれが1000年生きることは素敵だと思うし、そうありたい、憧れる、憧れるだけ。ランドは1000年残るよ

例えば普通に乾燥を言うなれば、進撃の巨人みたいな、外の世界がわかるに連れて明らかになっていく真実の気持ちよさとかワクワク感とか絶望とか希望とか、そういう話自体の秀逸さが良かった。1巻が最後でビルが見えたときの?!だけで全部引き込まれて読まされる。そういう次元の漫画

好きなところは、でも恋とかしちゃうところ。恋愛、あまりにも人間の最大コンテンツすぎる。恋をして、例えばアオのハコが10倍面白くなるかもしれない。でもそのとき、他の作品がチープに見えてしまうことがどうしようもなく怖い。老いは怖くない、わけではないが成長はスキだ。三千院ナギを好きだと思えたとき、人生頑張っていきて大人になってよかったと思えたので、成長も老いも完成の変化も怖くない。停滞は悪、そして昔好きだったものがもう好きでなくなってしまうのが怖い。1000年生きて、1000年前のものをつまんねえと思うことだけは本当に怖い。処置によって得る感性と失う感性のバランスを取らないと処置は怖い。 やっぱなんだかんだキャラのことすきになっちゃうよねーほんとにそうなったらもう終わり

生と死と好奇心と老いと恐怖と双子と魂と幸せと恋と人生の漫画だった。
漫画大好きだ、本当にこれだけ漫画だけ読んで俺は死にたいのにな今のところはそれだけなのにな
塾で一位になったときも、部活でうまく行ったときも、ゲームで買っても、人間と人生しても、結局この最大コンテンツを超えられない。フィクションが最大コンテンツでなくなったら、俺はどうするんだろうか、それは老いだろうかそうなったらやだな