労働の喜びの分だけ安くなる?

手仕事の値段の話をしていてよく出てくる話が、作り手は労働力を提供したけれど、楽しく喜びがあった分だけ提供価格を下げるという話。

確かに、どれだけ報酬が高くでもやりたくない仕事だってある。遊んでいるような時間だったのに報酬なんて貰っていいのだろうかと思う仕事もある。お金のためにやらざるを得ない労働がある一方で楽しい仕事というのもある。

例えば、私が携わるこぎん刺しという刺し子の手仕事。
10㎝角のコースターを1枚作るとして、
・デザイン、図案を考え
>デザイン・図案は1時間じゃ決まらない。いろんな仕事に合間にデザインが閃いたり、市場調査したりしているうちにだんだんと確定していく。

・布に模様を刺し
>布を埋め尽くすように模様を刺すのは2時間位

・布を重ねて座布団のようにぐるりと縫い合わせ仕立てる
>高性能のミシンを使って縫製し、アイロンで仕上げ梱包まで、大目に見て30分くらい。

東京の現在の最低賃金は時給1,113円なので、測れた時間だけで2,783円。
これにデザインに費やした時間や調査の経費、ミシンやアイロンの電気代、そして材料代が加わる。真面目に経費積み重ねていくと1枚5000円以上になる。

それでも有名なアイドルが作ったら買うかもしれない。名もなき職人が作ったものだとどうだろうか。多くの人は高すぎて買わないってなると思う。

多くの人が手に取りやすい価格にするためには、効率よく量産すると単価を下げられる。しかし、沢山の量を売り切るために別の経費が掛かるかもしれない。在庫管理や販売に費やす時間を考えると、個人で作ることが好きでやっている人なら、楽しかったし損しない程度に価格を下げてもいいかという考えに至るのかもしれない。

買い手としては、ありがたいと思う一方で、こういう価格提示に慣れるのは怖い。個人的な損得だけで低価格を提示したことがいつの間にかこぎん刺しコースターの価格相場になってしまっても困るし、大切にしたい伝統文化の価値を下げてしまっているようで解せない。

作り手が、楽しかった分下げてもいいと思う差額は自分の作品の成長や文化を守るための投資に使って欲しいなと思ってしまう。損しないかもだけど、得しなかったら手仕事が発展しないと思うから。。。なんつって。
資源の乏しい環境から生まれたこぎん刺しに得しないと発展しないなんて合っているのか?

でも、さっきの計算は最低賃金での算定なので、ここから楽しかった分価格を下げるなんてとてもシビアなことだ。1か月で22万の給料になったとしても、税金や社会保険に差し引かれ、固定費が差し引かれ、都内で独立した生活ができるだろうか。

たまに「ハンドメイドなんて好きで作ってるんだから安くしろよ!」的な足元見てくる嫌らしい客もいるんですよね。人の尊厳を無視した労働の搾取だよね。せめてお互いに楽しめる値段交渉術を持って来いよと思う。



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