愛が見れる
11月15日お父さんの命日
寺に手を合わせに行った
墓はなく納骨堂に遺骨を納めている
骨壷を入れた箱が二つ並んでいる
右にオカン、左にお父さん
オカンは11月22日生まれで
良い夫婦の日が誕生日やのに
お父さんと仲が悪かった
二人が会話する時は
目を背けたくなることばかりだった
ずっと
ずっと
ずっと
僕が
小学校を卒業して
中学校を卒業して
高校を卒業しても
ずっと
ずっと
ずっと
僕が
家を出ていってからも
ずっと
ずっと
ずっと
お父さんが
定年退職して
オカンが
熟年離婚を決意して
ずっとだったことが
終わるはずだった
だけど
オカンが病気になって
余命一週間と宣告された
お父さんがオカンの看病をした
でも
お父さんも
病気になって
お父さんが
先に亡くなった
そのあと
精一杯ガンバったけど
オカンは
二ヶ月ぐらい後に
10月22日オカンが医者から余命宣告をされた日
家族みんなが15年ぶりに揃った
オカンはショックを受けて言葉を失って動揺していた
僕も医者の話を信じたくなかった
姉ちゃんも兄ちゃんも胸の中にある気持ちをぐっと抑えるように黙っていた
「ガンバりましょう!いつか人間は死ぬもんですから」
お父さんは悲しみの沈黙を破るようにイスから立ち上がって言い放った
「よろしくお願いします!!」
あきらかに間違ったテンションで
医者に大きな声で言ってから
家族が集められた部屋を出て行った
オカンと病室に戻るとお父さんがいた
僕は
大変な状況にも関わらず
10年ぐらい会っていなかったお父さんが気まずかった
大変な状況にも関わらず
お父さん、老けたなぁ。と思った
「誠、久しぶりやの、元気してたんか?」
お父さんが話しかけてきた
その瞬間に
次の日10月23日がお父さんの誕生日だったことを思いだした
「まぁ、なんとかやってるわ」
ずっとお父さんに会わなかった申し訳なさみたいな気持ちを少しでもなくしたいと思いながら
「お父さん、明日誕生日やな。今は、大変やけど、、落ちついたら誕生日プレゼント渡すわ」
10年間を埋める
精一杯の言葉が
お父さんと交わした
最後の会話になった
10日ぐらい経ってから
お父さんが倒れて入院した
姉ちゃんからのメールで知った
直ぐ姉ちゃんに電話した
「お父さんも長くないやって、余命一週間らしい」
言ってることが理解できなくて何度も確認した
舞台帰りの駅のホーム
ベンチに座り込み
一本
二本
三本と
通り過ぎて
小さくなっていく
電車を
消えるまで
見続けた
何本も
何本も
オカンにお父さんのことを伝えたら
お父さんの病院に行くと言った
抗がん剤治療中のオカンとお父さんがいる病院に向かった
僕が産まれた病院だった
そこらじゅうの病室から
ピーピーピー ピーピーピー
と鳴り響いている
どこかの病室から別れを惜しむ
泣き叫ぶような声も聞こえる
覚悟を決めれないまま
オカンの車イスを押して
お父さんの病室に
足を震わせながら入った
病室の窓から差し込んだ夕焼けの光が
苦しみながら息をするお父さんを照らしていた
僕は小さく「お父さん…」としか言えなかった
僕が来たことさえ分からないぐらい苦しんでいた
いきなり
すっと立ち上がった
歩くことなんてできないはずのオカンが
車イスから立ち上がり
力を
ゆっくり
振りしぼって
一歩
ふらっとしても
更に
力を
ゆっくり
振りしぼって
二歩
三歩
オカンがお父さんの手を握りしめて言った
「あたしもガンバるから、あんたもガンバりや」
病室の窓から差し込んだ夕焼けが
オカンとお父さんを照らす
二人に近づけないまま
車イスのハンドルを握りしめた
やさしい色の夕焼けの光が残酷に見えて
病室の窓を睨みつけた
だけど
だけどオカンとお父さんは僕に生きる力を見せてくれた
なにがあっても強く生きろというメッセージを
そのメッセージを決して忘れてはいけないと目に焼きつけた
オカンは僕の方を振り向いて
「なんでこんなことになってもうたんや」
と言って車イスにへたり込んだ
数日後
お父さんは亡くなった
お葬式にオカンも参加した
オカンはお父さんの火葬を終えた時に
『あたしはお父さんが大好きや』
と言った
それから
オカンは
たまに
笑顔を見せてくれた
車イスを押して
病室から出て
病院の見晴らしのいい大きな窓から
白い神戸の景色を一緒に見た
和やかに降る雪
庭にあるイルミネーションが優しく輝いて
トナカイとサンタクロースの飾りを見つけて教えたら
オカンが微笑んだ
「前みたいに働くのは無理やけどな、週2日ぐらいは働くわ」
と言いながらオカンはベッドの上で体を起こして
布団の中で足踏みするように動かしていた
また歩いてくれることを信じて
オカンの足を何度もさすった
ゴハンをいっぱい食べたオカンを見て
嬉しくて喜んだ
オカンの生きる希望が眩しかった
だけど
運命という言葉を憎んで
神様を恨んで
僕の心の中は
どん底だった
オカンの病院の帰り道に
いつも電車の中で
SAM COOKEの
LIVE THE HARLEM SQUARE CLUB 1963の
Bring It On Home to Meを聞いていた
雪が降っていた帰り道も
通り過ぎていく電車を何本も見た時も
何度も 何度も 何度も何度も何度も
この歌のせいにして悲しんだ
言葉にならない励ましが僕の支えになった
僕を励ます意図なんてないはずなのに
SAM COOKEと同じ誕生日と知ってから
この曲に僕の魂を宿らせて口ずさんだ
オカンが亡くなってから
実家の遺品整理をした
お父さんのパソコンがあった
オカンの病気のことをたくさん調べていた
あと
お父さん自身の病気のことも調べていた
お父さんは自分の病気のことを家族誰にも言っていなかった
右にオカン、左にお父さん
骨になっても夫婦で並んでいる
そこには拳一つ分の間がある
その間が微笑ましく恥じらいのある様に見える
それは『間』ではなく『愛だ』
オカンとお父さんの愛が見れる
死んでも愛は生きる
Bring It On Home To Me
(作詞作曲Sam Cooke 歌詞タグ)
胸の奥 骨叩く
溜め込んだ 叶えたい想い
ベイベー 誓うよ
死んでいる人よ 夢を放つぜ
眠れない夜があるなら
ボロクソになるまで生きろ
ベイベー 誓うよ
死んでいる人よ 夢を放つぜ
決意から見えてくる
俺の命 俺だけの自由
ベイベー 誓うよ
死んでいる人よ 夢を放つぜ
伝えたい害ない悪意
不道徳なことでも愛込めて
おぉ ハニー 誓うよ
死んでいる人よ 夢を放つぜ
やさしさも強さも
生きてる 今でも生きてる
泣いてたまるか 誓うよ
死んでいる人よ 夢を放つぜ
さぁ 遺影にイェイ 遺影にイェイ 遺影にイェイ
言え 遺影にイェイ 遺影にイェイ 遺影にイェイ
おぉ 誓うよ
死んでいる人よ 夢を放つぜ
さぁ 遺影にイェイ 遺影にイェイ 遺影にイェイ
言え 遺影にイェイ 遺影にイェイ 遺影にイェイ
おぉ 誓うよ
死んでいる人よ 夢を放つぜ