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寒い夜に、心和まされる。

関西でも昨日今日と、いよいよ冷え込みが強まっている。

そんな真冬の夜、心がほっこりと和まされた記事をご紹介したい。


私がいつも楽しみにしている、池辰彦さんの記事。

池さんは「発想の画鋲」というテーマで、世の中の出来事について、独特の視点で発信されておられる。

何気ない着眼点や気づきの記事が、私の心を豊かにしてくれるのである。


今日投稿されていたテーマがこちら。

ミスタードーナツの新商品「ポン・デ・ディグダ」についてのお話。

最近ミスドに行くこと機会がほとんどないので、陳列されている姿はまだ見ていない。
恐らくショーケースの中では綺麗にそろったディグダのお顔が、陳列されていることであろう。


ところが、持ち帰りで買ってみたところ…


ちょっと様子のおかしいディグダ
フニャフニャに溶けそうなディグダ
ぼこぼこに殴られたディグダ


SNSに投稿されているのは、明らかに原型をとどめていない、姿かたちが変わってしまった商品。

この愉快は表情をこぞって、画像をアップしているというのだ。

しかし、SNS上の消費者の間に生まれたのは、イメージとの違いにクレームをつけるのではなく、形や表情の違うディグダをそのまま楽しもうという動きでした。SNS上には個性的な表情を持つ「ポン・デ・ディグダ」の写真が連日たくさん投稿され、「うちのディグダちゃん、疲れているように見える」「うちのディグダさんなんか泣いてる」「個体差激しいディグダ見て癒されてる」「どれみても面白い」などと人気に。

ねとらぼ  2024年12月14日記事


完全に”違う何かのキャラクター”に変容してしまったフォルム。
それを楽しもう、という向きである。

さらには、1つ1つが「唯一無二のディグダ」と捉えられることもできるので、自分が好きなオンリーワンのディグダを見つけられるというベネフィットもあるわけです。

池さんのコメント

この手のキャラクターとコラボしている商品、

「原型をとどめてないとイヤ!」
「なんか違う!」

となりがちになる。


ところが、
その「不完全さ」が買い手の感情的な満足感になっているというのである。

ディグダというキャラクターを超越した、変わり果てた姿こそが価値。


何事も考え方、捉え方が大切なのだなと改めて感じた。

そして、

完璧ではない要素に目くじらを立てるのではなく、
池さんの仰るように「面白がる」方向に、目を向ける。

一筋縄ではいかない世の中ではある。

こんな楽しみ方が多方面で広がっていけば、もっと心が豊かになるし、
思わぬ所からビジネスチャンスに繋がりそうな予感、気づきを頂いた。
(池さん、貴重なシェアをありがとうございました。)


明日は、久々帰る実家の近所のミスドへ行ってみよう。
そう静かに思った。


ご一読ありがとうございました。
今日も書けるという喜びに、感謝。











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