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聴覚過敏を乗り越えた記録

息子は聴覚過敏がひどかった。


最初に異変が起きたのは、保育園のスイミングだ。通っていた保育園が近所のスイミングスクールへ団体で連れて行ってくれプロのコーチの指導を受けられるという機会があった。
働いていると、子どもに習い事をさせたくても送迎が難しく、なかなか実現できない。それを、保育園が希望者をまとめて引率してくれるという。働く母としてはありがたい限り。
子どものころ泳げなかったのに、高校時代に血迷って水泳部に入ったあたしは、泳げないつまらなさも、泳ぐ楽しさも知っていたので、息子には泳げる小学生になって欲しいなと行かせることにした。


「ねぇ、プールどうだった?」

「楽しかったよー。」

3歳の息子がそういうので、楽しんでいると思っていたが、明日が3回目という日のお迎え時、先生に声をかけられた。
「明日のスイミングは園でお留守番をしてようと思うんです。」
聞けば、着替えてプールサイドまではいくものの、とにかく暴れて泣き叫ぶらしい。真っ赤になってぐったりするまで泣き叫び、園に帰ってくると疲れ切って寝てしまう。それが2回続いたと。

「必須ではないですし、無理に連れて行って嫌な思いをさせるのもかわいそうなので、穏やかに園で過ごした方がいいと思います。」

水着が濡れていたのは、プールではなく、シャワーだった。
あまりの暴れっぷりに、保育士の人数も足りないという。
その話を聞いて、にわかに信じられなかった。本人は楽しいと言っていたし、様子に変わったところはない。
少々ふしぎに思ったものの、まぁいいか。自分が連れていけないし、園でも連れていけないというならば仕方がない。
この時はじめて、

「あなたの子どもは例外です。」

と言われた。その後何年も、同じ場面に遭遇するのだけれどこの時はまだ知らない。

今思えば、これが一番最初のパニックだったに違いない。
原因は複数あり、おそらく
・スイミングスクールという新しい場所
・屋内プールの反響音
・指示が入らずどうしていいのかわからない
・スイミングのコーチの存在が理解できない
ただ、園バスでスイミングスクールに連れていかれただけなのだけど、本人は異次元の空間に放り込まれたように思って怖くてパニックを起こした。

当時、あたしは息子を育てやすい子だと感じていた。何の問題もない手のかからない子だと思っていた。


息子が出したSOSを、あたしは全く気が付かないでいた。





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