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作家ホイットリー・ストリーバーについて(3)

ホイットリー・ストリーバーは、自分がUFOに拉致されて手術のようなものを受けたと主張し、エイリアンによる誘拐(アブダクション)の被害者であると主張する一方で、
「かれらのわたしに対する仕打ちがどうあれ、わたしはビジターたちを憎んでいない」と述べ、彼のベッドの脇に立った小さな人物たちのことを「善良な軍隊」と呼んでいる。

さらには、「ビジター」の再訪を心から待ち望むようになるのである。

彼女(訳注:「コミュニオン」の表紙の人物)はまぎれもなく私を惹きつけた。ある意味では、この生き物を愛しているようにすら感じた――自分自身の魂を愛するのとほとんど同様に。自分の無意識の深みからわたしを見つめ返す存在に対して感じるのと同じ恐怖と魅惑を、彼女から感じたのである。

「コミュニオン」邦訳文庫版147頁

そして1994年にブルックリンハイツのアパートに滞在していた時、不意に侵入してきた「ビジター」に背中から抱きつかれるという奇妙な体験をしたという。

心臓が激しく鼓動し始めた。愛情、恐怖、さらには欲望が身体を駆け抜けた。息が荒くなってきた。この人物の腿が私の腰に引っ掛けられた状態で私はよろけながら、右肩越しにこの人物を見ようと振り向いた。
二本の細い腕が私の前に突き出ていて、私の腕はしっかり抑え込まれてしまっている。強いなんてものではない、鋼のような腕だ。あがいても無駄だった。私には前腕を曲げてその手首に触れることだけしかできなかった。中は硬く、表面は柔らかい、まるで鹿皮に包まれた骨の様だ。筋肉や脂肪がある感じはまったくない。が、だからといって、弱弱しいわけではなかった。力はとにかく強かった。
・・・玄関をよろめきながら、「アン!アン!」と妻の名を呼んでいると、驚くべき感情の波に襲われた。この感じは、なついていた子供に久しぶりに抱きつかれたような、あるいは、激しい愛情を抑えきれず爆発させてしまった人に突然抱きつかれたような、そんな感じだった。私の感情も爆発していた。この人物を抱きしめてキスし、彼らが苦労した歳月になんとか報いてやりたかった。

「ブレイクスルー(遭遇を超えて)」208頁

1987年に「コミュニオン」を出版してから、ストリーバーは「ビジター」との再会を熱望していたが、同時に、催眠療法によって幼少期のトラウマが蘇り、強迫観念のような恐怖心の虜になっていたようだ。とりつかれたようにUFO関連の資料を漁り、他の「誘拐」被害者たちと交流しつつ、「ビジター」たちとの間接的な接近遭遇を繰り返していた。

これは私の個人的想像だが、「ビジター」がストリーバーの「後ろから抱きつく」という"暴挙"に出たのは、再会したいというストリーバーの熱望に応えつつ、正面から「彼女」(抱きついたのはストリーバーが最初に遭遇した「彼女」である)を見た時の恐怖心に配慮したからではないのだろうか?

ストリーバーの描写はこう続く。

皮膚はこれといって暖かいわけでも冷たいわけでもないが、ひとつ面白い性質に気づいた。その人物の指の先に向かって私が親指を走らせると、爪で黒板を引っ掻いたときに起こるような抵抗がかすかにあった。親指を戻すと、絹のような手触りだった。
これは若い女性に違いない。そして、彼女は数年前、森から私に声をかけたのと同じ人物に違いない、という印象を私はもち始めた。・・・大きな存在感と、独占欲に満ちた激しい愛を感じた。私に対する欲望、欲求、愛欲を感じ、私はそれに十分応えようと躍起だった。しかしこんな態勢ではそれもかなわない。抑えきれずに泣きじゃくりながら私も何か話そうとし、よろめき、寝室へ行ってアンを起こそうと、また振り向こうと努力して、息が切れてきた。いくつもの信じられない感覚に襲われていた。肉体的な触れ合いによる至福、われわれが触れ合っているところすべてに信じられないほどの快感があり、私は震え始めていた。私の指に絡みついている指は、息がつまるような優しさで動いた。

「ブレイクスルー(遭遇を超えて)」209頁

そして「彼女」は行ってしまった。

私がこの描写に注目するのは、以前の記事で紹介したマイケル・ウルフの証言と一致するからであり、また別の機会に紹介しようと思う別の接近遭遇事例の内容とも一致するからである。

これらの「グレイ」は人間にハグしたりキスしたりすることを楽しんだ。これには彼の同僚の何人かが動揺した。ある人は彼らに「キッシー・フェイシー Kissy Facy」というあだ名をつけた。滑らかで柔らかい体はイルカの皮膚のような感触だった。

「グレイ」をめぐる妄想(マイケル・ウルフによる証言)|伊福部大耀 (note.com)

ちなみに、ストリーバーはこんなことも書いている。

我が家の猫たちの反応だが、元気で心配性のシャム猫、コーはビジターたちが苦手だ。セーディの方は、私が出会ったどの生き物よりもおとなしいといっていい(ネズミを捕まえたときでさえ、ただ少しずつかんでいるだけなのだ)。セーディはビジターを、我が家に来た人とまったく同じように見なして、ひざに乗りに行った。おとなしい性格なので、よほど緊張した状況でなければ、ビジターたちを受け入れるのにまったく問題はなかった。

「ブレイクスルー(遭遇を超えて)」211頁

これは彼が猫を連れて「ビジター」の乗り物に乗った時の事を言っている。
猫を連れて乗り込んでいるところからして、そもそも誘拐(アブダクション)だったのか、という疑問は残る。

私がストリーバーの接近遭遇記録を読んで抱いた感想は、以前にも述べたが、「ビジター(グレイ)」側は最大限に人間の側に配慮して接近しているのだが人間の側の恐怖心が建設的な交流の障害となっているのではないか、ということと、グレイはハグのような肉体的接触をとても好むということだ。

彼の以下の見解には私も同感である。

ビジターとの遭遇はストレスに満ち、破壊的ではあるが、同時に、内面の理解に通じる黄金のドアとして利用することもできる。暗い側面を見れば、遭遇をうまく利用できなかった人々が打ちひしがれてしまうことも多い。反対にうまくいけば、その経験のショックで心が開かれる。犠牲者の心に、自分の魂を開発し豊かにしたいという飢餓感が生まれるのだ。

「トランスフォーメーション」まえがき

非人間知性(NHI)との接近遭遇のうち、具体的な肉体的接触というのは最も強烈な体験であり、体験者に「オントロンジカル・ショック(存在論的衝撃)」をもたらすことは明らかである。

オントロジカル・ショックは通常は心理的不安やトラウマを引き起こすと考えられる。ディスクロージャーを否定する論理の中には、人類にオントロジカル・ショックを与えることへの懸念が正当化として用いられることも多い。

しかし、ジョン・マックの研究でも明らかなとおり、ストリーバーをはじめ、このような体験を経た人々は、ほとんどの場合一時的なショックを経験するものの、見当識障害や発狂といった重大なダメージは受けていない。

ストリーバーもまたディスクロージャーに肯定的であり、最新のARRO報告書に見られるような米国政府(ペンタゴン)の秘密主義を批判している。

現在も自身のYoutubeチャンネルなどで積極的に情報発信しているストリーバーは、ディスクロージャーの動きを追いかける中で今後も要チェック人物であることは確かだ。


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