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インゴ・スワン「リアル・ストーリー」(40)

私は、なぜ体外離脱が室内の被験者と対象との間だけに限定されなければならないのか疑問に思った。 もしそのような視覚が本当に存在するなら、それは古代の文献が示唆するように、遥か遠くまで届くのではないだろうか?

誰もが、この十分な可能性と、調べてみる必要があることに同意した。だがオシス博士は、どのようにして遠くの目標を指定し、遠方視(リモートビューイング)が成功したか(失敗したか)についてのフィードバックを得ることができるのかを疑問視した。

そこで私は、ジャネットと二人で急いで考え出した手順について説明した。

誰かが米国の主要都市の名前が入った一連の密封された封筒を準備する。そこにある気象サービスの電話番号も含まれる。

目的は、その都市の気象状況を説明することだ。そうすれば、ジャネットはすぐに地元の気象局に電話して、実際の気象状況を知ることができる。この場合の費用は長距離電話料金のみとなる。

博士はこの斬新な実験を試みることに同意した。 もしそれが機能する兆候を示したなら、さらに確実な長距離実験を計画することができるだろう。かくして、私は自分自身で最初の実験を行うことになった。

1971 年 12 月 8 日の午前と午後の OOB 練習セッションの後、私がまだ脳波装置につながっている間に、別の ASPR 職員であるベラ・フェルドマンがジャネット・ミッチェルに封をした封筒を手渡した。

インターホンを通してジャネットはこう言った(彼女の言葉ははっきりと覚えている)。「インゴ、封筒を持ってきたわ。準備ができたら知らせて」

私はかなり緊張していたが、「準備はできています」と答えた。

インターホンを通して、ジャネットが封筒を破るのが聞こえた。それから彼女は息を切らして言った「目標はアリゾナ州ツーソン」

ここで何か不思議で魔法的なことが起こった。

もちろん、ニューヨークの一隅の狭い実験室からどうやってツーソンに「行く」のか全く分からなかった。初めて「アリゾナ州ツーソン」という言葉を聞いたとき、熱い砂漠のイメージが頭の中に浮かんだ。その後、私は「動いている」感覚を感じたが、それはほんの一瞬しか続かなかった。私の頭脳、知覚の一部が真っ暗になった・・・その瞬間私は「そこ」にいた・・・それは私が数年後に「知覚の即時転送 Immediate transfer of perceptions」と呼ぶものだった。

全てがあまりにも一瞬の出来事のように感じられた。ジャネットがインターホンを通して現場について告げた直後に、私は話し始めた。

「濡れた高速道路の上にいます。近くにも遠くにも建物があります。風が吹いています。寒いです。そして、激しい雨が降っています。」

テープレコーダーに話しかけるほうが簡単だったため、スケッチする時間も必要なかった。

そこまで言ってから、私は高速道路に水が光っていることに気づき、こう言った。「ツーソンはひどい暴風雨に見舞われている!」

「それだけ?」とインターホン越しにジャネットが質問した。

「はい、それだけです。少しめまいがするだけです。もっと時間がかかると思っていました。雨が降っていてとても寒いです。」

「わかりました」とジャネットは再び息を荒げながら答えた。

インターホンを通して、彼女がツーソンの気象サービスの番号をダイヤルしているのが聞こえた。私は汗をかいたので、電極を外し始めた。 背筋がゾクゾクしていることに気づいた――それが適切な言葉であれば。

しかし、私が立ち上がる前に、ジャネットがインターホンを通してこう言った。「あなたは正しかったわ。今、ツーソンは予期せぬ雷雨に見舞われていて、気温は氷点下に近いみたい」

私はこれらすべてを非常に鮮明に覚えている。これが私にとって初めて意識的に経験した生体移動現象だったからだ。この体験は私の心のどこかに消えずに刻まれている。

その夜、家に帰ったときに初めて、ツーソンに「滞在」している間、ASPR の実験室との知覚的および感覚的接触―私自身の身体を含むーを完全に失っていたことに気づいた。

このときには、この小さなことが、最終的に非常に大きな事態につながること、そして多くの人を当惑させるほど異常な状況につながることになるとは、まったく想像もしていなかった。

この初めてのリモート実験には誰もがかなりの感銘を受けた。もちろんこれは最初の実験にすぎず、エラー率がどのようなものか、そして確率の期待値をどのように判断するかを確認するには、さらに多くの実験を行う必要があった。そして、この種の実験を何と呼ぶかという問題が生じた。

私たちはすでに、オシス博士が二階のオフィスのコーヒーテーブルに設置したターゲットを「見る」試みに参加していた。 私たちは「フリッカーフュージョン(閃光融合)」実験にも参加するようになり、他の種類の実験を試みる準備も進めていた。

報告書上の単なる実験のカテゴリとして、私は「リモートセンシング」または「リモートビューイング」という用語を提案した。オシス博士とシュマイドラー博士は、研究対象が「対外離脱状態の視覚」であったため、「リモートビューイング」という用語を好んだ。そのため「リモートビューイング」という用語が定着し、これがやや混乱を招く多数の形式を表すことになった。

理由は不明だが、リモートビューイングの実験はいつも私をリフレッシュさせ、私の退屈を解消してくれるものだった。

初めての「リモートビューイング実験」以来、私は一度もこの種のことで退屈したことはない。 それを体験するのは爽快だし、他の人がこれに成功した経験を見るのはさらにスリリングなことだ。

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