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インゴ・スワン「リアル・ストーリー」(50)

1972 年の 1 月から 2 月にかけて、私は人間という有機体が生物学的にどのような認識のメカニズムを有しているかについて十分な知識を持っていないことに気づき始めた。

私は芸術、創造的な経験とそのプロセスについてはよく知っていたが、それよりも美学、創造的な想像力、心的イメージに集中していた。現代のメインストリーム文化は、これらの認識といわゆる「スピリチュアルな」認識を区別していた。科学は本当の霊的な知覚は存在しないと考えていた一方で、科学は両方のカテゴリーに「知覚」という用語を使用していた。

私は知覚の生物学に関しては弱いと判断し、ASPR で働いていないときは、図書館での研究に取り組んだ。

ASPR での 対外離脱やリモートビューイングの実験中、外部または遠くの「ターゲット」に関する情報が遠隔に存在することは明らかだった。そのとき私の心の中には、その外部の遠く離れた情報がどのようにして拾われ、人間の生体組織に統合され、意識センターやその他の知覚手段によって認識されるようになるのか、という疑問が生じた。

超心理学における一般的な見解は、ESPなどは身体の機能ではなく心の機能であるというものだった。 しかしその一方で、「心の知覚」は生体と非常に密接に関係しており、超常的な知覚は実際には心だけの産物ではないのではないか、と私は思い始めた。

一つの手がかりは、多くの超能力者や自然発生的な超能力エピソードの逸話が、「ターゲット」に関連付けられた感覚が実際に生体によって経験されていることを示していたという事実だった。このかなり極端な例は、警察を助けようとする暴力犯罪について調査していた霊能者が、凶暴な打撃を感じて気を失ったというようなものがある。

これはアリゾナ州ツーソンの寒さを私の体が実際に感じたリモートビューイング実験の場合にも当てはまった。この体験は私の場合、リモートビューイング実験に関してのみ生じた。超心理学の研究で利用される典型的なターゲットは、ESPカードやその他の非物理的反応タイプで、必ずしも生体全体の反応や物理的感覚を活性化するわけではない。

いずれにせよ、私は身体感覚とそのプロセスについて十分に知らなかった。 そこで私は、ニューヨーク公共図書館 (および他の図書館) で、物理的感覚について何が理解されているかに関する科学論文や技術論文を引っ張り出しながら、資料の山に埋もれて一日を過ごした。 正午ごろ私はコーヒーと安いフランクフルトを求めて通りに飛び出した。夕食を食べて図書館に引き返すこともよくあった。

私はメモと参考資料が入った分厚いフォルダーを3冊持ち、身体感覚について知られていることに関する図表や地図 (私の情熱の 1 つ) を描くことに忙しくしていた。

後に私がこれらのフォルダーをスタンフォード研究所の私のオフィスに持って行ったことは言及する価値がある。それらはある日行方不明になり、結局発見されなかった。 置き忘れた可能性もあるが、盗まれた可能性も考えられる。

生物学的感覚の複雑さは驚異的で言葉を失うほどである。しかし私たちのほとんどは、それらがどれほど素晴らしいものであるかをまったく理解せずに、ただ使用しているだけだ。

しかし、バイオマインドの物理的感覚について現在進行中の「謎」は唖然とするものである。1972年の時点でバイオマインドについてはすでに多くのことが知られていた。ただしなぜそれらが知覚をもたらすのかということは、昔も今も大きな謎である。たとえば視覚の生物的・物理的側面は理解されているにもかかわらず、なぜそれが「見る」という知覚に結び付くのかというメカニズムは解明されていない。

調査を進めるうちに、アイデアの微かな光が見え始めた。私はなぜ物理的な知覚と「メンタル的な」知覚との間に区別が設けられているのかを疑問に思った。

ほとんどの標準的な辞書で 「知覚」と調べると、次のように定義されていることがわかる。

認識または理解を達成すること。

感覚を通して気づくこと、特に観察すること。

言い換えれば、知覚は認識と理解を達成するプロセスの結果である。 つまり何かについての認識と理解を達成しないのならば知覚は生じないということだ。 人は最初に知覚するのではない。最初に気づきがある。何かに気づいていなければ、それは知覚されない。これは私たちが通常考えることとは逆である。私たちは、まず知覚し、それから認識すると信じている。

認識と理解の達成は、身体的感覚にも精神的感覚にも同様に当てはまる。そして同様に、精神的な感覚は必然的にバイオマインドの感覚システムを通じて、つまり身体と精神を通じて処理されなければならない。リモートビューイング実験中、あるいは「サイキック」犯罪探知中に、なぜ身体が離れた場所の物理的状況を体験できるのかについての答えがここにある。

大切なのは、知覚それ自体は何でもないということを理解することだ。 言い換えれば、私たちは知覚それ自体についての認識を持っていない。 むしろそれらは入ってくる情報の過程で遭遇したあらゆるものの結果であり、知覚と呼ばれるためには、その情報は認識を獲得しそれを理解するという形をとらなければならない。

この認識は最初は漠然としていた。しかしそれは私の中にある肉体的感覚と精神的感覚に関する人為的な区別を失わせた。それが物理的なものなのかそれとも他の感覚によるものなのかは関係なく「インプットされる情報」を検出することだけがある。

これは実験中に反応を言語化するよりも絵を描く方が効率的である理由を説明する。 たとえ言語脳である左半球が理解できなかったとしても、絵は右脳によって処理される。ほとんどの人が理解していないことは、脳の右半球は多くの基本的な単語も扱うということだ。それは直線的な言語形式ではなく記号としてである。

この考え方により、OOB や遠くのターゲットに対する私の反応が改善されたようだった。 ASPR で正式な OOB 実験を開始していたため、これは良いことでもあった。

ASPR では他の潜在的に有意義な実験が工程に追加された。 私たちは知覚心理学者のキャロル・シルフェン博士によって設定された「フリッカー・フュージョン」実験に着手した。ASPR では「設備担当」のジェームズ・メリウェザーも働いていた。 彼は実際には訓練を受けた物理学者だったが、ASPR での主な仕事は、装置を稼働させ続け、他の種類の実験用に他の装置を設計することだった。

彼は時々ESP テスト用に独自の創意工夫を凝らした特別な装置を設計できるかもしれないとつぶやいた。私は他の人にもチャンスがあるのを見るのが好きだ。 そこで私はジャネットとオシス博士に、別の部屋のスクリーンにフラッシュされる複数のターゲットを表示するシステムをセットアップさせてはどうかと提案した。 彼は素晴らしい実験を提供してくれた。 彼はまたESP装置の設計と製造も行った。

これらの追加実験の唯一の「問題」は、多くの反復試行 (時には一度に 60 回から 200 回) を必要とすることだった。これが私にとって反復的な試験の初めての経験だった。 それは疲れるし、すぐに信じられないほど退屈になった。 しかし、私は堅実な性格であり、ますます多くなる実験的試みからできる限りのことを学ぼうと決心した。

もし私が今後何年もにわたってそのような試験を無限に行うことになると少しでも気づいていたら、間違いなくすぐに引退して小説に取り組んでいただろう。しかし数年後、私がSRIで実験の回数を数を数えるのを中止したとき、それは25万件を超えていた。

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