中1、中2は 訳分からないまま終わってしまい中学3年生になった なんだかやっと楽しめる友達に会えた ワタシは徒歩で1人通っていたが仲良くなったチャリ通女子2人は ウチまで来て自転車を置いて歩いて3人で通学するよーになった 少しヤンチャな2人 あれ?楽しい? 勉強はサッパリな私たち 受験生なのに 髪の毛を脱色したり タバコに興味をもったり お店のモノを頂いてしまったり やってはいけないコトをするのが楽しくて、強くなった気がした メチャメチャ不良とかでは無く 真の悪さしてる子たち
馴染めない中学生活の中修学旅行があった 東京、静岡の2泊3日だ 国会議事堂、東京タワー、ディズニーランド、富士山5号目 今考えるとハードスケジュール だが運命を感じた 東京タワー🗼だ なんとも言えない朱色 鉄筋なのに暖かく感じた 展望台に登ると東京が一望出来た 清々しい 晴れ晴れしている 奈良とは空が違う 空が近い 行き交う人も違う カラフルな東京 ワタシ 大人になったら絶対東京に住もう!と思った
中学2年生になってすぐに四つ下の妹の水ぼうそうがうつった 14歳のワタシは酷かった ブツブツが全身に痛い、痒い 母に白い薬を塗ってもらう お年頃のワタシはそれすら恥ずかしいのに!のにだ! 薬を塗るのに少し時間がかかる 尿意をもよおし母にトイレ行きたいと言った 母はもぉ少しやから我慢し! いや もぉ我慢出来ひんから行かせて 我慢出来るやろ!待ち!! の掛け合い 春になったばかりでまだ肌寒かったのを覚えている ワタシはあろう事か漏らしてしまった・・14歳でだ 恥ずかしい、驚き、怒
中学生に入ってすぐの頃 小学校時代みたいに授業中 保健室に 一回行った事がある 小学校の時とは違い授業を一旦止めてしまう感覚があった 保健室の先生は病院みたい 熱もないワタシを疑いの目で受け入れる なんだか居心地が悪い 中学生時代はその一回しか行った記憶がない 先生の顔色をみる 周りの子たちの顔色をみる 親の顔色をみる そんな中学生時代の始まり
3つの小学校から集まる地域の中学校に入学した 知らない人だらけ、小学校によって 色が違う人たちが集まり8クラスもあった 出席番号順に席を並べた 前には違う小学校から来た坊主アタマの背が高い野球部男子だった なんだかウマが合い しばらくの休み時間、授業中、ビンゴやトランプ等を2人で真剣に遊んでいた ふと気がつくと廊下から違うクラスの男の子達がニヤニヤしながらワタシたち2人を見ていた え?なんで笑われてるの?遊んでるだけなのに・・なんとも気恥ずかしい 初めての感覚を覚えた 初めて
長かった6年間 ロクデモナイ6年間 歪んでいった 何も興味が無く やる気も無く 周りに流され 結局親の引いたレールに乗る 自己中心だけど自分の意見を持たず人のせいにする 嘘つき 嘘を嘘で重ね続ける そんな子供になった 授業中毎日トイレに行く事も、保健室に行く事も恥ずかしいとも思わなかった しかし先生も親もワタシに何も言わなかったし何もしなかった 後々母に聞くと学校から何も連絡なかったで。と言われた 今の時代なら配慮があってもおかしくない こんな子供の変化に気づいていたんだろ
6年生になった6月 おじいちゃんは亡くなった おじいちゃんとお父さんは血が繋がっていない おばあちゃんの再々々婚?相手らしい 同居前 奈良の秋篠に住んで居たおじいちゃん ニコニコ笑い優しいおじいちゃんだったので一緒に住めるのが嬉しかった 一緒に住んでみると幼心になんだか違和感がずっとあった 笑顔も少なくなり「うるさい!」と何度か怒鳴られたコトもある 3人で住んでいた秋篠の家より狭い家になり更に義理の息子家族との同居 おじいちゃんはシアワセだったんだろうかと今思う 葬儀が終わ
東大阪に母方の実家があった 土日になると母はワタシと妹を連れてよく実家に泊まりに行った 母の弟家族、妹家族も一緒の住宅団地に住んでいた 叔母さんの家族の家でみんなでご飯を食べて泊まる が、ワタシはなんだか居心地が悪い 絶対に近所に居るおばあちゃんの家に1人泊まって居た おばあちゃんが大好きだった 歯が無いおばあちゃん 「たくわん噛んで」とワタシに噛ませてお皿に一旦出し それを食べていた 信じられない 母の実家には月に2.3回行って居たが ココでも母は居なかった記憶がある
小さな家で7人家族 父母ワタシ妹の4人で六畳間2部屋割り当てられていた 勉強机2つ並べてあり ワタシの机はめちゃめちゃ汚い いらないプリントの山、ファンシーグッズ 引き出しの中は何が入ってるか分からない 母は机の上のものを下に落とし「買い物行ってる間に片付けなさい!」ワタシを叩き、殴り発狂する 引き出しのぐちゃぐちゃの中に 水あめが倒れ蟻が群がり 窓から黒いアリの列が出来ていた カオスな状態 自分でどうしていいか分からない 冷たい目でワタシを見ながら母は出て行く ツライ な
ウチには宗派のちがう3つの仏壇があった 狭い家に3つもだ 祖父母が持っていた祖父の先祖の仏壇、祖母の姉の夫の仏壇、父母の宗教の仏壇 母は凄く嫌だっただろうなと思う 義理の親とその姉と突然の同居 そう言えば言っていた 「私は奈良の家を見に行ってない お父さんと義母が決めて来た家や」と。 母は高槻時代に計画を進めていた 滋賀の栗東に家を買う計画 家族4人でのマイホーム 夢見ていた母 夢崩れた母 「あの時離婚したかったけど アンタらからお父さん奪うコトを私は避けたんや」って。
ヴァイオリン、ピアノ、習字を習っていた ピアノなんてなんの興味もなかったのに気がついたら通っていた 習い事に行くのが面倒くさくなって来た6年生 習字とピアノに行かなくなって行った けど母には行っていると嘘を言って月謝をくすねて使っていた ある日 母が年末のご挨拶に先生の所に一緒に行くと言いだした あの時はドキドキした 母のうしろに立ち 先生に手を合わせ頭を下げ黙っていてくれと懇願した12歳のワタシ 習字の先生もピアノの先生も 辛そうに見て黙っていた その場は乗り切った その
図工の授業が大好きだった 特に絵を描くのが好き ある授業で空想の魚を描く課題があった ワタシは没頭した 細かい緑色のグラデーションのウロコを沢山描き完成した 後ろにみんなの絵が張り出されたタイミングで三者面談があった 勉強が苦手で成績がすこぶる悪いワタシ 母はどんな思いでいたのだろぅ そう言えば 5点の漢字のテストを母は部屋の壁に貼っていたなぁ 高い通信教材を買い与えられていたが一切見向きもせず新品のまま狭い家族の部屋に増えていくばかりだった 褒めるトコロが無かった先生は
6年生になり修学旅行先は広島 資料館は幼いながらに怖かった 信じられない現実とは思えなかった 宮島に渡り宿泊 夜に朱色の鳥居がライトアップされているのを覚えている 宮島の鹿🦌たちは奈良の鹿🦌とは違いお辞儀をしなかった 「なんでやねん!」と奈良県民小学生は怒っていた お土産タイム みんなしゃもじを買っていたがワタシは味噌サジをお土産にして家族に褒められた 先生たちは大きなしゃもじを買っていた 奈良に帰り普通の生活に戻ったが 忘れ物をしたり、ケンカをしたら あの大きなしゃもじが登
小学校入学と同時に大阪の高槻から奈良へ引っ越して来て割とすぐに母は勤め出した 初めは大学病院の口腔外科の受付 ワタシが4年生になるころ東大阪の小坂で小さな喫茶店を始めた母 日曜日しか家に居なかった 祖母もあやめ池の病院の料理をして働いていた 平日は祖父、祖母の姉、妹だけだった 4、5年生の誕生日に赤い24インチの自転車をかってもらった 嬉しくてそれから夜駅まで母を迎えに行く生活が始まった 大体の時間でお迎えに行く 駅の階段から降りてくる母に手を振り駆け寄り 一緒に買い物に行き
5年生になりお友達と奈良の西大寺にあるジャスコに電車で遊びに行く機会が増えて来た ファンシーグッズが売っているお店でふでばこを2人とも探していた 友達が手に持っているふでばこがワタシは欲しかった 蛍光のミントグリーンに光るオバケがプリントされている缶ケース ラスト1個 その子は「一回考えよ」と棚に戻した それをワタシは手にとった お友達が「ズルい!!」と言ったがお構いなしにレジへ持って行き先に買った 嬉しかった 誇らしかった やってやったそんな感情 他人の気持ちなんてどーでも
4年生の時に転校して来た子と帰りの道が一緒だった 学校が休みの午前中一緒に遊んでいたが 午後からその子は他のお友達のお誕生日会に行く予定だ まだ遊びたいワタシは食い下がった その子は「じゃぁ 一緒に行こ」と言ってくれたが渡すプレゼントが無い・・・家中探して コレでいっかと持って行ったのは片耳が少しかけたキティちゃんの貯金箱 赤いリボン、青い服を着たキティちゃん 忘れられない 友達の友達の誕生日会に突然訪れ、知らないワタシに埃の被ったキティちゃんを渡された隣のクラスのその女の子