2267年に惰眠が破壊さるること

惰眠をむさぼる。眠りというのは、貪るというほどアグレッシブになり得るものだろうか。

惰眠そのものを貪り食うものといえばウグフシだ。バクに似た、バクより体色の趣味が悪い、あの足のでかい生き物だ。
奴の意地汚さときたら、2215年くらいの死にかけの私とタメを張る(当時の私のように湖を破壊したりはしないが)。縄張り意識が強く、一人につき一晩に一頭までしか現れないが、縄張りは毎日変動しており、同じ個体が数日以内に再訪することは珍しいという。

近年明らかになった通り、眠りそのものは「今現在眠っているかどうか」に関係なく一日保持される。
惰眠の重さはたかだか50㌘とはいえ、快眠の倍は重い。起きているときは無駄に荷物になるだけなので、どうせなら起きたタイミングで食べていただきたい。
しかし、ウグフシは眠りが惰眠化するとすぐに現れる。その後カーテンレールにぶら下がって錨の形に曲げるなどの活動をし、早ければ十分後には食事を始める。早食いの大食いだ。

惰眠も快眠も、眠りというのはすべてBoolean型だ。
眠りが貪り食われてしまうと脳は眠りの状態を取得できなくなる。人体は緊急停止できないため、そうなった場合は「状態の維持」を優先する。すると、貪られた本人は貪られたことに気づかないまま眠り続けるということになる。夕方頃になると翌日分の眠りが準備され、そこでようやく正常に戻る。
通常子供の前には現れないとされてきたが、近年になって10代前半の子供とウグフシとの遭遇が年間2、3件発生するようになった。子供の生活習慣の悪化によるものと言われているが、定かではない。

2231年に睡眠学者のヘモド=オリバストスが、ι型のウグフシとの対話に成功した。
彼女は次のような質問をした。
「君に味覚はあるのか?人間の惰眠を食べるのは栄養補給か、それとも嗜好品としてか?」
ウグフシは次のように答えたという。
「ああ、まあ……」

この答え(になっていないもの)の解釈は諸説あり、未だに議論の種になっている。人間には説明してもわからぬ神秘なのだとか、睡眠学者の不躾な質問に機嫌を損ねたのだとか、照れ屋であったとか、寝起きであったとか、もしくはただの鳴き声であるとか。
ちなみにオリバストス博士によれば、ウグフシの瞳孔は上から見た風見鶏のように、黄色の眼球の中で回転していたという。この特に学術的意味のない発表によって、博士はちょっとした油ハネ程度の拍手と数多の困惑の眼差しを受け取った。

私が2230年にようやく老衰で死んで以降、この2267年まで人間は増え続けた。そしてまた、ウグフシも増えた。しかし、二十年前の人為的スロウバックによって伸びすぎた寿命がリセットされ、今年「栄誉寿命者」達が一度に実質的な死を迎える。(「死」に対しても「栄誉ある」とつけるかどうかは、各自の判断にお任せする)。
人間を減らすのは簡単だが、ウグフシを減らす方法は誰にもわからない。ずっと囁かれ続けていた「余剰ウグフシ問題」はもうすぐ起こる。余剰も何も元から必要としていないと言われそうだが、そう呼ばれているのだから仕方ない。

しかし、余ったからどうだというのか?
多くの研究者は、ウグフシが惰眠以外を食するようになる可能性や、遭遇する層の低年齢化、縄張り争いの激化を予想している。
縄張り争いについては人間には関係がないように思えるが、2207年の豊礼防ウ対策の大失敗の例のようにウグフシを凶暴化させるリスクがある。入院患者が暴食個体「ヒルエ」によって貪られた挙げ句に味覚まで失った事件は、稀な例ではあるが、無視できるものではない。

ではどうするべきか?
思えばこれまで、我々は貪られることに対しあまりに無頓着だったのではないか。惰眠ならあげちゃってもいいさ、などと考えてはいなかったか。今ここで、ウグフシとの力関係をはっきりさせておく必要があるのだと思う。
具体的には、かつて空想生物愛護法によってコテンパンに否定されたUOOP(ウグフシ殴打追っ払いプロジェクト)を、もう一度選択肢に入れるくらいのことはしたほうがいい。生者の皆様には二足歩行の生物として殴打も辞さない強気な対応をお願いしたい。

ちなみに、今一番おすすめの快眠グッズは今年発売のウグたろうアイマスクだ。デフォルメされた黄色い目がかわいくてお泊りにピッタリ。

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