設楽洋(ビームス)の家族に意外な有名人が⁉資産/経歴/評判を調査!
設楽洋さんは、株式会社ビームスと株式会社ビームス・クリエイティブの社長です。
ビームスは、オリジナルの衣料品や輸入雑貨の販売をメインに事業を展開している、国内有数のセレクトショップです。
現在では国内だけでなく海外にも店舗を構え、グローバルに活動しています。
そんなビームスの頂点に立つ設楽洋さんについて興味を持っている人も多いかと思いますので、今回は設楽洋さんの経歴や仕事における実績、家族構成、そして、周囲から見た彼の評判などについてご紹介します。
設楽洋とは
設楽洋さんとは、アパレルブランドで有名な株式会社ビームスの代表取締役社長を務める人物です。
大学卒業後は電通に入社した設楽洋さんでしたが、ビームスを立ち上げた父の病気を機に、株式会社ビームスに入社し、後に代表取締役社長に就任しました。
1993年には大型店BEAMS TOKYOを出店しており、セレクトショップの大型店出店は、業界で初の試みでした。
経営者としての実績が認められて、「デザイン・エクセレント・カンパニー賞」(2004年)など、複数の賞を受賞しています。
プロフィール
設楽洋さんのプロフィールは以下の通りです。
本名:設楽洋
読み:したらよう
愛称:タラちゃん
生年月日:1951年4月13日
出身地:東京都新宿区
性別:男性
国籍:日本
学歴:慶應義塾大学経済学部卒業
趣味:瞑想
設楽洋の経歴
設楽洋さんは、1951年4月13日に東京都新宿区で誕生しました。
地元の高校を卒業後は慶應義塾大学経済学部に進み、1975年に卒業します。
大学卒業後は電通に入社し、プロモーションディレクターとして、さまざまな仕事に取り組みました。
その間、広告電通SP賞などを受賞しています。
■父の跡を継ぎビームスの社長就任
電通に勤めながら、父である設楽悦三さんの立ち上げた「ビームス」にも参加し、1976年には原宿に「AMERICAN LIFE SHOP BEAMS」をオープンさせました。
ビームスはその後、1982年に株式会社ビームスとなります。
1983年に電通を退社した設楽さんは、株式会社ビームスと新光株式会社の専務取締となり、1988年には同社の代表取締役社長に就任しました。
社長就任後も、ビームスの事業拡大に積極的に取り組み、海外に支店を置くまでに会社を成長させたのです。
設楽洋の実績
設楽洋さんのビームスに対する大きな実績は、会社の方向性を決め、成功に導いたことではないでしょうか。
設楽さんは、以前からアメリカのカジュアルなファッションに憧れていて、1960年代から70年代にかけて発達した、アメリカのライフスタイルを参考に、メンズ向けの服を販売し始めました。
アメリカ西海岸発の衣料を輸入して販売したところ、これが大当たりし、1977年には渋谷に2号店を出店します。
1980年代に入り、社長が父の悦三さんから設楽さんに移ると、新レーベルを次々に開発し、会社は急成長を遂げました。
一時期、会社役員が新たなセレクトショップを立ち上げるために一斉に会社を去り、苦境へと追い込まれましたが、若手のバイヤーで体制を整えることで、乗り切った実績もあります。
設楽洋の現在
設楽洋さんは、現在もビームスの代表取締役社長を務めています。
創業50周年を迎える前に引退することを考えているようですが、今のところ現役を続けています。
設楽さんは、若手がどんどん育ち、新たなビームスを牽引してくれると期待を寄せているため、引き継ぎのタイミングが見えたら交代する可能性が高いと言えるでしょう。
■自由に生きたいと考えている
設楽さん自身は、社長業に未練はなく、早く引退して自由になりたいと考えているようです。
その理由として、「マネジメント型の社長ではない」ことを挙げています。
ビームスは上場していませんが、これは設楽さんの意志です。
上場することでやりたいことができなくなる可能性があるから、という理由があるようです。
ファッションの根底には、アートやカルチャーがありますが、赤字になりやすいなど経済的にはうまみがあまりありません。
設楽さんは引退したら、アートやカルチャーの普及活動に取り組むのではないかといわれています。
推定年収・資産
設楽洋さんの年収や資産が気になる人も多いかと思いますが、ビームスは上場していないため、時価総額など正確な数字は明らかになっていません。
ただ、ビームスの株のほとんどは、設楽家が持っていると言われていますので、億単位の資産があると考えられます。
年収についても正確な金額は分かりませんが、ビームス社員の平均年収は約370万円であり、中小企業の役員報酬は社員の5倍ほどとされているため、1,850万円ほどになるのではないかと予想できます。
あくまで推測ですが、おそらくこの数字前後の金額を年収として得ているのではないでしょうか。
設楽洋の家族構成
設楽洋さんの父の設楽悦三さんは、ビームス設立前にも新光株式会社を立ち上げた実業家でした。
設楽洋さんは結婚されており、2020年には娘の結婚式に参加したことをTwitterにて報告しています。
また、サッカー選手として有名な三浦知良さんの妻である三浦りさ子さんは、設楽洋さんの姪にあたります。
家族ではありませんが、ビームス1号店を出店したときの店長は、後にユナイテッドアローズを創業した重松理さんです。
設楽洋の評判
設楽洋さんの評判として、自身のことを発想型の社長と分析し、それを周囲も認めています。
ビームスが発展したのは、設楽洋さんのアイデアによるものが多いからです。
異業種の人たちと出会って、さまざまな情報を吸収することを好み、毎日のようにレセプションやパーティに参加しているとのことで、いかに社交的な人物であるかが窺えます。
ファッションとは川のように流れているものと、底の方に沈殿しているものがライフスタイル。その両方をウチはやっている
と、あるインタビューで答えていますが、彼の生き方や人柄、そして仕事に対する考え方も、この言葉に集約されているのではないでしょうか。
まとめ
今回は、ビームスの社長である設楽洋さんについてご紹介しました。
憧れていたアメリカのライフスタイルを事業に反映させ、会社を長年繁栄させ続ける根底には、ファッションに対する設楽の考え方とセンス、そして新しいアイデアがあるということがわかりました。
移り変わるファッションと人々のライフスタイルを切り離さずに考えていくことが、ビームスを唯一無二の存在に押し上げたと言っても過言ではないでしょう。
設楽さんの考え方や経歴から、ビジネスのヒントを得ることができそうです。
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