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記憶の美化

記憶というのは都合よく塗り替えられてしまうことがよくありまして、私もよく思い違いなどがあって、データをみて、あれ??そうだったんだ・・・なんて思うことがあります。

でも、昭和に関しては、私はよかったな~って、あんまり思わないんです。昭和がすき!っていう人ごめんなさい。

まず・・・有無を言わさず年長者に従わなければいけなかった風潮。小学校の時、おばあさん教師に、理不尽に鉛筆忘れただけで往復ビンタされた小2時代(友達と遊ぶのは楽しかったので学校はすきでした。小・中・高)。

食べられないものがあるのに、食べるまで休憩するなと、休み時間がないときが多かった大嫌いな給食(パンがとてもまずかったし)。

空地で遊んだりしましたが、釘とかガラスの破片とか落ちてたりしてて、危なかったです。保育園で怪我して、園庭から訴えてるのに、保育士はでてきてくれませんでした。足の裏に画びょうがささって、部屋に落ちてて踏んだ、と訴えても、あ、で終わり・・・・あ?で終わりかよ?って思いました(昔の画びょうってこれ)。

映画のポスターが通学路に貼ってあったんですけど、たまにすっごく怖いのが貼ってあって、そこを通るときには目をつぶって通った。野良犬もいて、おっかけられたり、ひっかかれた(大人になるまで犬が怖かったんですけど、幼稚園教諭の免許をとってからは、犬も大好きになりました)。

会社にいけば、「セクハラ」なんて言葉はなくて、おっさん課長とかがおしりとかをさわりまくってきました(新人は逆らわないと思ってか)

さわってんじゃねーよっ!

って、大きな声で叫びましたが、あの時代では、めずらしキャラだったようです←曲がったことがゆるせないたいぞうさんと誕生日は一緒

とにかく理不尽な世の中だなあと思って、日々戦っていました。当然、企業に所属できるタイプではないので、ITと通訳類のフリーランスを経て事業を起こしたりしてました。

平成➡令和になるにしたがって、なんて便利なの!なんて、秩序が保たれてるの!臭いものの蓋なんかとっちゃえ!っていう考えに賛同する人もいて、理不尽案件はまっくろくろすけみたいな煤払いと一緒に印鑑の周りのまじないをつぶしちゃってぴゅ!(千と千尋の一場面です)ってやっちゃおう!って言っても大丈夫な世の中になったし!個人の好きなの尊重されるし!
(昔は家長がみたいテレビ優先で、チャンネル権というものが存在していた)←いやだと言うとわがままと言われる時代だった

良い意味でちゃんとした民主主義が確立されてきているじゃないか!ってことが多いから(もちろん隠されたり、裏でごにょごにょってあるけど)

私は今の方が好きです。昭和にもどりたいとは思いません。年がら年中着物の帯でぎゅうぎゅう締め付けられているような、そんな日々は苦痛や不便がいっぱい。

無駄に記憶に染みついている事柄が、きれいなセピア色ではなくて、おどろおどろした地獄絵図のようなイメージがあるからかもしれません。

人情とかコミュニティとか身近によい人間関係ってのはあったかもしれませんが、あいにく私は都心部に住んでいたので、下町っていうかんじの情緒は経験したことがありませんでした(浅草とかりょうさんワールドは大好きです)。

近頃は隣に誰がすんでいるかもわからなかったりしますので、困ったときにちょっと手を貸して・・・ってのができないのは不便かもしれませんが、これからはどんどんそれをカバーするサービスが登場すると思いますよ。

人間関係も希薄になったとはいえ、なにかの縁で知り合って仲良くなると、それが大切なつながりになったりすることもあります。SNSあるからいつでも連絡がとれますし。まあ、近所ではないことは多々ありますが・・・

実際に会って話したりするこみにゅケーションとSNSでつなぐコミュニケーションのハイブリッドで自分の人生を豊かにすることも可能だと思います。自己表現もある程度自由だし(SNS秩序もこれからどんどん整備されるだろうし)。

とにかく多様性が許される今の方がずっと楽しいです。お店もいっぱいあるし。正月もお店やってるし(日曜日の午後はテレビがつまんなかった。時事放談って、じじ砲弾だと思ってた)。

おそらく、どらえもんがタイムマシンを貸してくれて、昭和に戻ってみたら、え・・・っ、うわー、ムリてなると思いますよ。多分ね

サポートしていただきましたら、きっといいことがあるでしょう!少なくとも私から多大なる感謝を持って、心より敬意を表します。ありがとうございます!!