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共感と協調

えーっと・・・だいすきな伯母がいたんですが
その伯母さんがね「私はすいかが大好き。あなたも好きでしょ?」
っていうんです。私は好きでも嫌いでもなかったので「うーん、そうでもない」と答えると「え!!!!なんで好きじゃないの?」というのです。
何でと言われても・・・

そこで、伯父さんが助け舟。「人の好き嫌いはひとそれぞれなのだー」

そう。そうよ。私は伯母のことは好きだけど、あなた程スイカをすきじゃない(食べますけどね)。伯母は自分が好きな人は、みーんな自分とおんなじ、って思っちゃう、かわいい思考の持ち主だったのです。

外国(まあ、ここで取り上げるのは欧米というか米かな)の場合は、趣味毎に友達がいるらしい。A君はゴルフ友達。B君は飲み友。C君はアウトドア仲間。しかも、きらいな友達もいるんだって。日本だったら「きらい」な人は友達じゃないじゃない?って思うでしょ。でも、外国人はきらいだけど友達。友達全員は好きなわけじゃない、のだそうです。ん~。わからない。

でも、いろいろ話しているうちにわかってきました。彼らの言う「友達」と、感情の共有はしなくてよい。らしいのです。一緒にゴルフできる人、同じペースで飲める人、アウトドアは達人がいると楽勝。つまり「便利」ってこと。まあ、なんと合理的なことか・・・情緒的な日本人にはちょっと考えられないことですよね。

そんな情緒的な日本人は、自分と仲良しの人は自分とほぼ同じ感覚でいてほしい、ってのが理想なのかもしれません。でもね、私はゴキブリが苦手なんです(他の虫はぜんぜん平気)。で、一緒にいる人もみんな苦手だったら、困るんですよ(退治してくれる人がいなくなる)。食べ物だって、同じ好みだったら取り合いになっちゃうこともあるでしょ?(譲ってもいいけど・・・)

だから、自分と違う感覚を持つ人が有難い。自分と全部同じ人はいないと思いますが、全部同じだったらそれはそれで困るわけです。でも趣味等は同じだと楽しいですけどね。ここで感情の共有ができます。

なにが嫌ってのは、人によって違うと思うんです(国別ならさらに大きな違いアリ)。琴線も然り。仕事なんかでも、ファイルがデスクトップにだーーーって並べてあって整理整頓されてないのが、すごく苦痛な人もいれば、気にならない人もいる。家の中でも洗濯物をお父さんと一緒は、いやって人もいれば、気にしない人もいる(お父さんちょっと悲しいけど)。

例をあげたらきりがありませんが、人から言われて気にならないことと、すごく気にしてしまうことも人によって違うことがあり(男女別でも、男には身長の話はタブーで女性は体重とか)、それに気づかない人は人に無礼なことを言っちゃったり。それがわかってくると、ああ、こういう人なのね、ってことで、片付けられるようになり、怒りもしゅーーーーっと消えてなくなったりするってことが可能であることが判明しました。

相手がどうしてそれが嫌なのかは感覚としてわからないけど、覚えておこう、あるいはわかろうとしてみよう、ってことが大事なのかもしれません。
共通事項は一緒に楽しみ感情を共にし、違ってる部分は尊重してあげる。

こどもなんかみてると、なんでそんなこと気にするのい?って思うこと多々ありです。石ころとか大事にしますしね?その子にとっては、宝物なんでしょうね。大人からみたら価値がないようにみえても、こどもにとっては特別もの。

知らぬなら ためしてみよう ホトトギス(なにを?)

中途半端な一句になってしまいました(パクリやん!)

お許しの程を。

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